図3.19 元村噴火堆積物総合柱状図(荒井,1998)
loc.034/loc.049/loc.006に基づく
さらに、元村噴火堆積物については、各層位から採取した岩片について全岩成分組成分析を行った。中でも loc.034においては複数の層位から試料を採取しており、この噴火で噴出したマグマの時間変化を見ることができた。その結果、下位の変質岩片を多く含むユニットから採取した岩片の組成は、この噴火で新しく噴出したものではなく、先に存在した溶岩のものであることが推察された。また、軽石だけで見ると時間ととにAl2O3の値は大きくなっており、SiO2およびK2Oの値は軽石主体の火砕流噴出期間では徐々に上がっていき、その後は減っていくという傾向が見られる。この組成の変化はユニット毎の噴火の爆発性の違いとマグマ溜まりの中の珪長質成分の比が、噴火の後半では大きくなっていることを示していると考えられる。最後に再びSiO2の値が下がっていることの理由は判らない。しかし、構成物組成や柱状図に示されているように、最後に緻密な岩片を多く含む火砕流が発生していることは、このマグマ組成の変化に従っていると推察される。
以上のことなどから推察される元村噴火期の噴火シナリオ、すなわち噴火のおおよその推移を図3.19の総合柱状図に従って検討し、当時の様子を復元すると次のようになる。『約8000年前、現在の恵山溶岩ドームが位置するあたりには別な山体が存在した。マグマ噴火に先駆けて、水蒸気噴火が発生し、既存のこの山体が破裂され、南麓へ火砕サージが流走した。その後、火口原付近で変質した岩片を大量に細かく破砕した連続的な水蒸気噴火が発生し、北麓〜東麓および南麓の約6平方キロメートルの範囲に火砕サージが到達し、周辺地域の環境に影響を与えた。この細かく破裂した火山灰は、西は恵山町女那川付近まで降下堆積した。続いて新鮮なマグマが噴出し、現在の恵山溶岩ドームの基になる緻密な溶岩の噴出も開始した。溶岩の成長は雲仙普賢岳(うんぜんふげんだけ)1990〜1995年噴火で見られたような、緻密な岩片が主体となるメラピ型の火砕流の発生を伴い、東麓の恵山岬〜元村地区に繰り返し溶岩片および火砕物の流下を行い、台地状の地形を形成した。噴火の終盤には噴煙柱を立てる爆発的な噴火によって軽石が流走または降下した。また、最後に再びメラピ型あるいは軽石の噴出を伴うプレー型の火砕流が発生した。』
これら一連の元村噴火は、火砕流堆積物のユニットが最低でも10枚以上見られることや(恵山岬など)、間にラハール堆積物を複数挟むこと、ほとんど軽石だけからなる堆積物だけが見られる層位があること、恵山溶岩ドームが形成されたことなどを考慮すること、数日間という短い期間ではなく、1990〜1995年雲仙普賢岳(うんぜんふげんだけ)の活動のように数年に渡る出来事であったと推定される。恵山溶岩ドームの体積を併せた、この噴火の総噴出量は、分布面積と平均層厚などから求めることができる。海へ流入したものや、現在火口原となっている場所を埋めた分を除いた最低概算値で0.5立方キロメートルである。火砕流のH/L値は0.13、火砕サージは0.08である。
なお、loc.008やloc.037us@恵山周辺における露頭では、元村噴火堆積物の上位に暗褐色〜暗灰色の土壌を挟んで明橙色〜黄色の火山灰が確認できる(図1.14)。このテフラは露頭間追跡調査および化学組成分析結果から駒ヶ岳に由来するKo-gであることが判っている。しかし、約2000年の時間間隙の割にEs-MPとKo-gの間の土壌層厚は小さく、元村噴火によって恵山の植生が壊滅し、腐植層が形成されるまでにかなりの時間を要したことが推測される。