約2万年前後は、年平均気温が現在よりも約7~8℃低く、最終氷河期のなかでも最も寒冷で乾燥した気候となった時期である。氷河が発達したことにより全世界的に海水面が低下し、最寒冷期には海水面は現在よりも85メートル前後低下して陸地が拡大していた。現在の津軽海峡の最も深い部分の水深が130メートル、宗谷海峡では60メートル、間宮海峡では10メートルで、最終氷河期最盛期には間宮海峡や宗谷海峡の一部は陸化したが、津軽海峡は海峡の状態を保っていた。ただ、冬期間には狭くなった海峡が結氷して氷橋ができ、その上を大型動物や人類が移動していた可能性もある。
この頃の北海道にどのような動物が生息していたかは不明であったが、数年前に八雲町山越の海岸から野牛の角化石が発見され、その年代測定をした結果約1万9千年前の化石であることが明らかになった(赤松ほか、1999)。噴火湾の一番深い部分の深さが約80メートルで、当時は海水面が約85メートル低下していた時期であったことから、今は海となっている噴火湾を野牛が群れをなして移動していた光景が想像される。
北海道中央部から渡島半島にかけた丘陵や低地がカラマツの仲間であるグイマツ、エゾマツ、アカエゾマツなどの亜寒帯性針葉樹林でおおわれただけではなく、亜寒帯性針葉樹林は東北地方まで南下していた。道央以北の平地は草原や湿原にアカエゾマツやグイマツなどの針葉樹が点在した森林ツンドラの状態であったと推定されている。
当時は、日本海に暖流の対馬海流が流れ込んでいなかったことから、冬季の降雪量は現在と比較してかなり少なかったと考えられている。