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村の公共費(一般会計)は「協議費」とよばれ、その主なものは教育費・(職員の)諸手当・神社修繕費で予算の90%を越す支出となっていた。この予算からも当時の地方行政の職務内容が窺える。神道は国教であり神社の維持は村の重要な職務であった。
なお、予算規模を推し量るため当時の物価の一端を記す。
・玄米1石(150キログラム) 8円10銭
・清酒1斗(180リットル) 2円40銭
・味噌12貫(45キログラム) 2円40銭
・鰛〆粕1石(150キログラム) 5円50銭
・元揃昆布1石(150キログラム)5円
・折昆布1石(150キログラム) 6円90銭
・日雇賃金日当 男15銭・女10銭
・樵夫日当 50銭
・鍛治職人日当 55銭
次いで、この予算となる地方税の賦課・徴収状況を見る。
『明治一七年度尻岸内村国税・地方税賦課徴収』・町有資料より
この税種目をみると、鹿皮がフランスなどへ輸出(明治10年には3万枚)されていることから鹿猟税を設けたり、海産物への課税はもとより干場へも税をかける干場税など、税収を上げるため課税対象をあらゆる面に広げていることが分かる。なお、当時の税収の90%以上を占めていたのが昆布・鰛・鰊などの海産物税である。
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