1、国会開設要求と市町村制の誕生

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 1・2級町村制の制定については、その背景となった国会開設要求・憲法の制定論に至る経緯についてあらましを記さなければならない。以下、時代の流れに沿って概略を記す。
 
 1877年(明治10年)6月、片岡健吉(高知生れ、1843~1903年、自由民権運動の指導者、自由党・政友会の領袖、板垣退助らの民撰議院設立建白書の署名者、後に衆議院議長を務める)の手により国会開設を要求する「立志建白」が京都の天皇宿所に差し出される。
 1879年(明治12年)、これが口火となって岡山県有志が全国に檄文を飛ばす。以来、国会開設を要求し、自由民権運動が澎湃(ほうはい)として起こり、各地で集会が開催される。政府はこれらの集会や言論に大弾圧を加えるが、この運動は農民や商工業者からも熱烈な支持を受け全国に広がって行く。
 1881年(明治14年)、大隈重信の「立憲政治に関する意見書」と、先述2の⑴で「開拓使有物件払下問題」が動機となって、この年の10月12日、明治23年を期して国会開設の詔勅を下した。
 1884年(明治17年)5月、政府は国会開設の根底となる地方制度改定の必要に迫られ「町村法案」を起案・一応脱稿する。以下、その概略を記す。
 
 第一章総則(町村自治の制) 第二章町村人民権利と義務 第三章五人組の制 第四章戸長、用掛、総代の選挙及び職務 第五章町村会 第六章連合会 第七章町村費、町村債 第八章町村財産及び収支などの規定、一二章より成る
 
 これは従来の郡区町村編成法を整備するなかで、政府雇のドイツ人モッセ、ロエスレル両人の意見を求め、欧米諸国の地方制度を参考としたものである。
 1887年(明治20年)9月、この「町村法案」を元老院(これは政府内部の立法院で法律案の議定や立法に関する建白を司り、議官は華族・官吏・学識者から勅任される)に付した。論議は、時期尚早だとするもの、外国の成例の模倣はいけないとするもの、府県制、郡制の調査成案の後でよいとするものなど、いずれも現段階での成立に賛成しかねる意見が続出し成立は先送りとなるが、翌1888年(明治21年)4月には、町村法案を整備し市制が加えられ、市町村の地方公共団体の基本法である「市制町村制」がようやく制定される。
 しかし、その付則には『此法律ハ北海道、沖縄県、其他勅令ヲ以テ指定スル島嶼ニ之ヲ施行セズ。別ニ勅令ヲ以テソノ制ヲ定ム』と規定されており、北海道の町村行政は開拓使当時とほぼ変わることがなかった。