[終戦]

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八月十五日の記
 一九四五年(昭和二十年)八月十五日正午、玉音は電波に乗って大八州(全国)津々浦々に伝えられた。固唾を飲んでラジオに聞き入っていた、わが尻岸内村の人々も、皆、地に伏して号泣、あるいは只呆然としてなす術を知らなかった。
 当時の郷土の人々はこの放送を聞いて、一体、何を感じたのであろうか。あの当時を偲んでの感想を、二、三の方々に聞いてみた。
 
([尻岸内町史より」浜田昌幸編集長の聞き取り・一九六五年頃)
「必ず最後には勝つと固く信じていただけに、玉音放送を聞いても負けたという実感はなかった。」〈御崎〉岩田 清 当時二三才
「陛下のお言葉を聞いているうちに、胸が迫り、涙が自然に出てくるのをどうすることもできませんでした。その後、気落ちして仕事も全く手につかなかった。」〈恵山〉吉岡袈裟吉 当時五二才
「もう、情けなくて情けなくて…どうにもならなかった。」〈古武井川村〉川村 留吉 当時四二才
「張り詰めていた気持ちが一度に抜けてしまいました。ただもう涙涙でした。これから先どうなるのか、ただ阿弥陀さまに向かって合掌するばかりでした。」〈恵山〉蔦照子 当時三六才
 天皇陛下の御詔勅がくだり、日本敗戦の事実を知らされた郷土の人々の衝撃は、全国の人々同様、いや、情報の乏しい辺地なるがゆえ、より大きなものであった。
 これから先、日本はどうなるのであろうか…。
 
乱れとぶ噂
 玉音放送の後、鈴木貫太郎首相は、「翻って戦争の終結は、国民の負担と困苦とを容易に軽減するとは考えられない。却って戦後の賠償と復興のため、一層の忍苦と努力を必要とされる」と述べて全国民の決意を促した。それは、これから歩まなければならない苦難の容易ならざる途であることを、示唆するものであった。しかし、長い戦争で人々の身も心も余りにも疲れ果てていた。
 これから先、一体どうなるのか、絶対と信じていたものが脆くも崩れ去ったのである。何を信じたらよいのか、虚脱状態に陥った人々の胸に言い知れぬ不安が付きまとった。どこからともなく伝わってくる流言蜚語が、憶測を呼び、事実となり人々を混乱に陥れた。「マッカーサーが東京へ乗り込んできたそうだ…」
「アメリカ軍が進駐してきたら戦争協力者は処罰される…」
「日本の男は去勢され、女はアメリカ兵の慰み物にされる…」
「東京に占領軍が上陸し一両日中に札幌へきて、銃剣を付けて市中を巡察するらしい…」
「北海道庁の屋上にソ連の国旗がひるがえっているそうだ…」
「北海道はソ連兵が来て占領するそうだ…」
「ソ連の軍艦が函館港に入ったそうだ…」
「アメリカの機動部隊が函館に進駐してきた…」
「アメリカ兵で一杯だそうだ…」
「娘達はアメリカ兵に乱暴されるので、みんな山の方へ避難しているそうだ…」
「明日から政府が変わるので、今日の内に貯金の払戻しをしなければ下ろせなくなる…」
 郷土でも、このような噂がまことしやかに流れ人々を不安に陥れた。敗戦・無条件降伏・進駐軍の上陸・占領というかってない経験の中で、村民はどれもが本当のように思われたのであろう。([尻岸内町史より」)