稲作からの撤退と農業の衰退

689 ~ 690 / 1483ページ
 昭和49年(1974)、稲作からの撤退と期を同じくして、郷土に於ける農業生産量は極端に減少していく。
 農水省函館統計事務所の農業生産調べから、作物の作付面積と生産量を拾ってみる。
 昭和48年(1973)、じゃがいも75ヘクタール・719トン、だいこん48ヘクタール・560トン、はくさい5ヘクタール・160トン、キャベツ4ヘクタール・72トン、きゅうり2ヘクタール・46トン、かぼちゃ3ヘクタール・27トン、ねぎ2ヘクタール・22トン、大豆8ヘクタール・6トン、小豆8ヘクタール・5トン。最盛期から見れば種類も生産量もかなり減少してはいるが、じゃがいも・大根などは自賄いできる量をなお生産している。
 それが翌年49年(稲作の撤退の年)には、じゃがいも20ヘクタール・224トン、だいこん12ヘクタール・128トン、はくさい3ヘクタール・81トン、キャベツ1ヘクタール・25トン、大豆1ヘクタール・1トン、小豆3ヘクタール・2トンと、作付面積・生産量とも、種類によっては半分以下になるなど極端な減となる。
 それでも、じゃがいもだけは、栽培も簡単な上、そのまま食べてもよい食材としての利用価値もあることから、百トン台の生産量を維持はしてきたが、昭和57年(1982)の12ヘクタール・128トンを最後に、これも、58年以降30~20トン台に急減し、他の野菜類も追従するように大根の70トン台、白菜20~10トン台、キャベツ・きゅうり10~6トン台、ねぎ・トマトはひと桁台と、いずれも取るに足らない僅かな量となり、江戸時代以来の悲願でもあった開田、水稲栽培の喜びも束の間、郷土の農業生産は衰退の一途を辿っていく。