明治18年(1885)に発足した漁業組合は、34年の漁業法の制定により専用漁業権の享有主体として認められ、明治43年(1910)には法改正で目的の拡大がなされ、共同施設を中心とした経済活動が認められるに至り、尻岸内村の各漁業組合も、共同施設と共同事業−専用漁業権(漁場)の共同管理、共同販売、漁業資金の貸付、蕃殖保護、遭難救助、暴風雨警報、共同製造、養殖事業、公益事業補助などの運営に漁業者の力を結集することになった。
道の助成 これらの事業には道庁や政府は積極的な政策を打ち出し、各種補助金・貸付金の予算も増額、計上した。大正12年道庁は水産補助規程により、次のような補助金、合計で、37,932円を支出している。
①養殖事業補助費(18,720円)
②製造補助費(2,194円)
③漁業補助費(10,200円)
④北海道水産会(5,775円)
⑤機関士運転士講習会(518円)
⑥水産品評会(525円)
国の補助 政府の直接補助としては、大正14年以降に実施された「漁業共同施設奨励規則」により補助の途が開かれるようになった。これについては、船場所設備・船溜設備・市場共同販売場設備・共同工場設備・水産倉庫設備・共同漁船建造・水難救済船建造・気象予報連絡機関などで1漁村1項目ごとに補助するというものであった。
資金の貸付 貸付金の制度も整った。大正2年から預金部資金から、大正15年からは簡保生命保険積立金からの融資の途も開かれ、いずれも年利6分5厘で融資が受けられるようになった。
こうした道庁や政府の補助や融資の制度は、漁業組合の運営基盤を強化し事業を推し進め漁業生産の高める上で大きな役割を果たしたことは確かである。
まず第一に、船場所・船溜の設備補助金よるインフラ整備である。漁船の動力化・大型化により従来の磯船当時の設備(澗・船揚げ場)に不便を強いられていた。
次に、貸付金・融資制度である。当時、経済恐慌の影響から一般金融は逼迫しており、組合金融により、船主漁業者は漁船の動力化を進めることができた。さらに、この制度により組合共販事業を強化し魚価の低落を防ぎ、商業仕込資本(後述)の収奪を排除し、漁業生産者の団結を強めていったことである。
しかし、当時の漁業組合は非出資組合だったので、経済活動にはいろいろ制限があった。例えば、共同販売事業といっても、それに必要な設備を仲介(組合員に場の提供)するだけで、組合自体が直接の売手・買手になることができなかった。しかも、当時は経済恐慌が深刻さを増し、個々の漁業者が直接取引きするにも資金不足のため、商業資本に太刀打ちできず、組合が代わって取引しなければならない情勢になりつつあった。