大正9年1月1日の函館支庁長河毛三郎の談話に呼応して、下海岸各村では道路改修促進の為の話し合いが進んだ。そして銭亀沢・戸井・尻岸内・椴法華の各村長・村会議員・有志らが大同団結し『下海岸道路会』を結成、新道路法の実施を目前にした、大正10年2月16日午前11時より、根崎温泉常磐木で「湯川・椴法華間道路開削改修期成同盟」の発会式を行った。
このことを、大正10年2月18日付の函館毎日新聞は『湯川椴法華間道路改修期成同盟・発会式挙行さる一大急務なりー』の見出しで詳細に報道している。
以下、全文を記載する。
湯川椴法華間 大正十年二月十八日付函館毎日新聞
道路改修期成同盟 発会式挙行さる =地方発展上一大急務なり
湯川椴法華間道路改修期成同盟会発会式は、十六日午前十一時より根崎常磐木にて挙行されたが、道会議員中宮亀吉氏を座長に推し、出席者、銭亀沢・戸井・尻岸内・椴法華の各村長、並びに各部落の代表者四〇余名が、道路改修の目的を貫徹するため左のごとき決議をなしたり。
〈決議事項〉
一、湯川村より東海岸森村に至る道路の開削・改修は地方発展のため刻下の一大急要時なるを以て、これが速成を期すること。
二、右目的を貫徹する為め、
①湯川椴法華間道路改修期成同盟会を設立すること。
②湯川、銭亀沢、戸井、尻岸内、椴法華各村長に幹事を委嘱し事務所を戸井村に置き戸井村長に常任幹事を委嘱すること。
③一村より委員一人ずつ選定し、幹事二人委員二人が年二回北海道庁その他に陳情運動なさしめること。
但し出張順番に当たる委員やむを得ざる事故の為、出張するに能はざるときは其委員所在の村より臨時に代理人を選定参加せしむること。
④旅費負担及び支出方法は幹事及び委員と協議の上決定すること。
但し陳情運動の為め出張する幹事の旅費は、其幹事所在の村の支弁とする。
同会は午後二時閉会せるが、該道路の開削改修に関し大正八年十一月以降、道庁長官に対して再三之が請願に及ぶ所ありしが、未だ何等手を下さず殆当局に閑却され居る有様なるより、今回之が速成を期すべく部落民結束をして其衝に当りたる次第なりと言うが、部落民代表に就き該道路の実況を聴く、其退廃せること想像以上なりとの由にて、付近に於ける鉱物豊富、生産物また少なからざるものあるが、該道路は殆ど懸崖の間を匍(は)う小径(こみち)に過ぎざるを以て、物資の輸送に就いては徒に人馬を労し、為に運賃嵩(かさ)み日用品の高価驚くべきものあり。
殊に沿道各村は、開村以来七百年の長年月を閲(す)みし地方産額の少なからざる割合に、発達の遅々たるものあり。之ら畢竟(ひっきょう)(結局)運輸交通の不便に起因する所なるを以て該道路の開削改修は地方発展上、刻下の一大急務とすべきものと云うべし。
当日発会式終了後、安藤支庁長函館区内四新聞社員を招き、慰労宴を開きたるが、席上、菊池戸井村長は部落民を代表して一場の挨拶を述べて曰く、「本道路改修に関しては、再三再四当局に請願する所あるも、未だ何等着手の形跡だもなきを以て、之が促進諮らんがため部落民結束し期成同盟会を組織したる所以なるを以て、之が目的を貫徹すべく切に尽力を請う次第なり」云々に対し−
安藤支庁長は立ちて、
「今回の道路改修期成同盟会の発会式に際し、余は道庁当局の末班に列し居るを以て、衷心甚だ心苦しき立場にある次第なり、余は当支庁管内東海岸方面を視察本道奥地方面に比し、古き時代より開発されて居るにも拘わらず発展の鈍きに驚する所あり、之ら畢竟するに東海岸に於ける民衆は、既に基礎固まりしため人情純朴となり、凡ての事柄に対し余り微温的なるより、努力の欠陥し居るに依る所なるべし。故に、今回の期成同盟会を機会に長夜安逸の夢より醒め、緊褌(きんこん)一番之が目的達成に努めんことを希望する。と同時に余も極力当局に折衝する所あるべし」云々と答え、その後、慰労の席となる。
宴は紅裙(こうくん)斡旋裡(対峙する両者の間を芸妓が取持ち、場を和ませ)に献酬(けんしゅう)(杯のやりとり)に歓を尽して多いに気勢を上げ、午後七時散会せり。
これを機に地域の陳情活動は高まりを見せ、機会をとらえては道庁へと足を運んだ。
海岸線の比較的平坦な道のりの湯川・銭亀沢に比し、原木・日浦・豊浦間の絶壁が連なる海岸や日浦・椴法華の峠道を抱える戸井・尻岸内・椴法華の3村にとって、道路開削・改修は村の発展はもちろん、日常生活の上でも住民の命にもかかわる大問題でもあった。大正10年8月には、戸井・尻岸内・椴法華の3村代表が黒住代議士を伴い道庁へ赴き、この地域の生活、漁業発展のために欠くことができず、又、津軽海峡は国防上からも重要な地点で、汐首岬には明治45年7月、函館要塞の一連として砲台設置、榴弾砲・カノン砲を備えていることなどを力説、道路改良の促進を陳情している。