大正期の尻岸内各港の乗客と貨物の状況

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 町有文書「監督に関する書類」に、尻岸内村の大正元年(1912)から同11年(1922)までの主な寄港地別、日浦・尻岸内古武井・根田内の乗客・降客人数、積荷・卸荷数が記されている。当時の海上輸送の状況・盛衰、又、産業を知る上で貴重な資料である。

『日浦・尻岸内古武井・根田内各港の乗降客・貨物調・大正元~同11年』

 まず乗降客であるが、当時は戸数1千戸ほど人口5千人余り、又、この時代の沿岸漁家の生活から推察し尻岸内村港の乗降人数は特に多い数であったと思われる。この人数も大正5・6年をピークに減少していくが、これは古武井鉱山の閉山によるものと推察する。古武井港の乗降人数・積荷(硫黄)が他港に比しほぼ突出していることからもこれは理解できる。鉱山操業が明治34・5年なので15年余りは尻岸内各港が盛況に沸いたと推察される。尚、11年の日浦港は鰯大漁、5~6年、8~10年は根田内の鱈大漁の年である。