[海難事故]

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 『佇(た)て岩とサンタロ泣かせ』という民話が「恵山町ふるさと民話集・平成2年発行」に載っている。“サンタロウは、タラ漁に出たまま帰らぬ息子を、嫁と2人、浜辺で幾日も幾日も待ち続ける。そして、そのまま岩になってしまう”という話であり、近くを通る国道278号線の「サンタロトンネル」名付けのいわれ(本章9節、5参照)となった伝説でもある。この付近、豊浦海岸には伝説の2人が岩になった「佇(た)て岩」やサンタロナカセ岬があり、日浦にかけての一帯は柱状節理の奇岩絶壁が連なり平磯が広がり多くの暗礁が散在し、海難事故の多い津軽海峡東口でも最も危険な海域であるといわれてきた。
 郷土には漁に出たまま帰らぬ人となった伝説や、漁船の遭難・救助の記録など数多く残されている。一方、この海域を運航する大型船の遭難も枚挙に暇はない。中でも開拓使の初の大事業「札幌本道・現国道5号線の一部」開削の技術者・人夫、資材等を積んで明治5年東京品川を出帆、尻岸内女那川沖で坐礁・沈没した『東京丸』(1,400屯)。大正5年、尻岸内沖で座礁・廃船となった軍艦『笠置』。この2つの海難事故は政府を揺るがした大事件として特筆される。
 
 (註) 『東京丸』については、本章7節2、開拓使の道路建設に詳細を記す。『笠置』については本節3にその詳細を記す。