[電報]

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 前項で、尻岸内郵便局より「笠置」艦長が海軍大臣宛てに打った『電報』について述べたが、郵便局の大きな業務の一つ、尻岸内郵便局の電信業務−電報を打つことができるようになったのは、明治30年(1897)12月11日のことである。
 ここで、この電信(電報・電話)について、その沿革など少し触れておく。
 電報とは、電気を媒介とし文字・符号を伝送し相手方に文書の形で届ける(電気による)通信である。1840年、米国のモースがモールス信号と、モールス電鍵と呼ばれる送信機と電磁石の働きで送られてきた断続電流の符号(トン・ツーの組合わせ)を記録する受信装置を発明、一対の電線により遠距離に迅速に通信が送れるようになった。その4年後の1844年に、ワシントン・ボルチモア間に電信線がひかれ米国の電信事業が始まった。