2、日浦・古武井両校水産補習学校 『日浦・古武井小学校沿革誌』より

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日浦水産補習学校生徒数


日浦水産補習学校職員


古武井水産補習学校生徒出席者数


古武井水産補習学校職員

 
青年会と水産補習学校
 水産補習学校の実践記録については学校沿革誌にも殆ど見当たらない。ただ、古武井小学校の沿革誌第8「古武井青年会」の項に補習学校にかかわる事項が記されている。
 以下、それらを拾ってみる。
 
 ・明治45年1月1日「古武井在住の尋常小学校を卒業せる三十歳以下の者を以て組織し目下会員四十名を有し、古武井水産補習学校に入学せしめ、或いは業務閑散の時を見計らい当校に招集し、学位術上の講話をなし智識の交換を為しつつある」
 ・大正3年1月11日「本日より三月十日まで、毎週一二時間ずつ古武井水産補習学校に合わせて、本校に於て夜学会を開けり」
 ・同12月1日「本日より来年二月末日まで、毎週一二時間ずつ古武井水産補習学校に編入して、本校に於て夜学会を開けり」
 ・大正5年1月11日「例年のとおり二十歳未満の青年者を補習学校に収容して、毎週一二時間ずつ授業を為せり。講師として功七級上遠野剛發氏を武術指南者とせり」
 ・同2月17日「昨年、文部内務両大臣より発布せる訓令に準拠せる青年会を組織して、其の創立式を挙ぐ」
 ・大正6年1月25日「午後六時より本校第五・六学年教室に於青年会総会を開会するもの、水産補習学校生徒全員百余名、左の諸氏より熱誠有益なる講話あり」
 “信仰”僧侶 芹田寛隨、“実戦談の一片”商業 上遠野剛八、
  “青年の本領”教員 新井田長之助、“所感”教員 杉山田政次郎、“欧州戦乱につき”教員 大西高尚
 ・同12月15日「本日より翌年三月十日まで、毎週一二時間ずつ 古武井水産補習学校に収容し授業をなせり」
 ・大正7年11月15日「本日より翌年三月十日まで、毎週一二時間ずつ古武井水産補習学校に収容し補習教育を行う」
 ・大正8年4月1日、「本日より五月三十一日まで第一期、十二月一日より翌年一月三十一日まで古武井水産補習学校に収容し補習教育を行う」
 ・大正8年12月1日、「本日より大正九年一月末日まで古武井水産補習学校に収容し補習教育を行う」
 ・大正9年4月1日「本日より五月三十一日まで、十二月一日より翌年一月三十一日まで、二期に渡り古武井水産補習学校に収容し補習教育を行う」
 ・ 大正10年4月1日「本日より五月三十一日まで第一期、十二月一日より一月三十一日まで二期に渡り、古武井水産補習学校に収容し補習教育をなせり」
 
 この第8記録は、大正14年まで綴られているが、水産補習学校の記録は大正10年4月1日付で終わっている。
 なお、古武井小の沿革誌 第10「卒業生との関係」に義務教育(小学校6か年)終了後の青年会(団)と水産補習学校との関係について以下のように記している。
 
 「義務教育年限延長後に於ける尋常科卒業生男を、当古武井青年会に加入せしめ毎月一回づつ当校に集合せしめて、風紀の改善、或いは学術講演をなし以て智徳の涵養を計り、尚、生業閑散の時季に於て毎年約四か月毎週一二時間、当校に附設せる実業補習学校に収容し学力補充に努めつつあり。
 大正五年二月十七日、昨年、内務・文部両大臣より発布せる青年会に関する訓令により、満二三歳未満の男卒業生全員を古武井青年会通常会員として、夜学(実業補習学校)及び毎月の例会に本校に集合することとせり。
 大正六年六月一日、井口校長青年会顧問兼指導者に推薦せられたり。
 大正七年七月二十三日井口校長青年会長に推薦せられ就任、二十八日臨時総会を開催し、大正五年全道聯合教育会に於て調査せる要領に基き会則を改正し、満二五歳までの男子全部を会員とせり。
 ・大正八年度より四月、五月、十二月、一月の四か月間水産補習学校の夜学を開き卒業生を収容教授をなす。前年度までは十二月から翌年三月までなりしを変更する。
 ・大正一五年四月より水産補習学校の夜学廃止す。
 
 この古武井小学校沿革誌、第8・第10に記されているこれらの事項から、大正4年の訓令により尋常小学校卒業生全員が当該青年会に所属し、同時に実業補習学校で学んでいたことが窺えることと、水産補習学校の開校期間が分かることぐらいである。