[青年学校の教員]

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 尻岸内村の青年学校の教員については、1に記したとおり、発足当時は付設する学校の校長と教員が、それぞれ青年学校の学校長と指導員を兼任し、修身・公民科、普通科体育科を担当、教練は在郷軍人、職業科の水産については、地元の専門的な知識の豊富な漁師あるいは漁業組合の指導職、又聞き取りにあるように、遠洋航路の船長経験者など地元に在住の知識人が指導者に任命されていたようである。
 青年学校は、小学校(国民学校)卒業後、普通科2年(尋常科卒)本科5年(高等科卒)さらに研究科と、学年令でいえば12歳から19歳、研究科へ進学すれば20歳以上までの青年を対象とし、学習形態は、朝学・昼学・夜学、あるいは季節定時制といった変則制をとっていたが、指導内容は一般教養から職業教育・軍事教練と幅広く、且つ専門性の高い、現在でいえば高等専門学校程度の学校なのである。従って教員は相当の教育を受けた資格者でなければならなかった。
 昭和10年(1935)青年学校発足と同時に教員についてもその規程が示されている。
 
 『青年学校教員資格規程』
 第一条 右ノ各号ノ一ニ該当スル者ハ青年学校ノ教員タル事ヲ得
  一 青年学校教員養成所ヲ卒業シタル者
  二 実業学校(商・工・農業・水産などの学校)ノ教員タル事ヲ得ル資格ヲ有スル者
  三 小学校本科正教員又ハ小学校専科正教員ノ免許状ヲ有スル者
  四 文部大臣指定シタル者
 第二条 職業、家事又裁縫ニ関スル特別ノ知識技能ヲ有スル者ハ地方長官ノ認可ヲ受ケ青年学校ノ教員タルヲ得ル。
 
 尻岸内村の青年学校の教員は小学校と兼務する(第1条の3に該当する)教員と、職業科の指導はほとんどがこの第2条該当の教員で、欧州航路の船長経験者などは稀れで、専任教員の配置はなかったようである。教員については道内の多くの青年学校も似たような実態で、専任教員の確保に苦労していたと思われる。