戸井町史の発刊にあたって

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戸井町教育委員会教育長(町史編纂事務局長)堀田久善

戸井町史の発刊にあたって  戸井町教育委員会教育長(町史編纂事務局長)堀田久善
 郷土の歴史を知り、先人の遺業を偲んで、戸井町がどのように発展したかを省み、将来の郷土発展に資するとともに、次代を担う後継者に対し、開拓精神と郷土愛を啓発振起するためにも、郷土史の編纂を急ぐ必要があると教育委員会で提言されて、その準備に取りくんだのが昭和三十九年でした。
 それにしても戸井町は、北海道でも松前、江差、箱館地方を除けば草創の古い方ですが、古記録、文献に乏しく、編集の資料は大方他から求めなければならないので、町内で史実の明確なものは細大もらさず収録しておき、後日の本格的な町史編纂の作業に備えようと、町内の古老からの言い伝えを参考に、神社、寺院等の記録をたどりながら資料収集に当っていたのでした。
 たまたま、昭和四十一年四月に本町立日新中学校長に赴任された野呂進先生が、植物学、考古学に造詣が深く郷土史研究にも大きな関心を寄せられていたので、先生にこの計画をお伝えして協力方を懇請したところ、快諾を得られたので、昭和四十二年に正式に郷土史の編集を委嘱したのであります。
 爾来、先生には多忙な間にあってよく資料をまとめられ、昭和四十三年六月以降翌四十四年八月までの短期間に「戸井町郷土誌(稿)」第一集から第四集および「戸井町史年表(稿)」を発刊されたのでした。
 以上の四集までには、未収録のものも若干ありましたが、これで総合編集の資料が一応整ったので、昭和四十六年七月に「戸井町史編纂委員会」を設置してこれを審議機関とし、外に若干名の町教職員、教育委員会職員を編集補助員として委嘱し、補足資料の収集に当ったものです。
 野呂先生の資料調査探訪中に発見された、汐首地区の円空仏あるいは戸井館附近の板碑等の貴重な文化財。また町史編纂について御協力いただいた日本考古学協会員千代肇氏の遺跡調査によって、古くから言い伝わる「戸井館」の全貌が明らかにされたことや数多くの出土された埋蔵文化財は、いづれも戸井町の往時を偲ぶ重要な資料となりました。
 町史編纂の一環事業として郷土館を建設し、戸井町における先住民族の遺跡、先人の草創時代からの開拓の苦闘を物語る民俗資料、あるいは変遷をたどり発展してきた漁法漁具の改良の実態を収蔵し、後世に伝えるべく、目下これの建設を急いでおりますが、この施設は、町史の出版によって一層の意義をもつものであり、不可分の関係にあるといえるこの両事業の完成によって、有形無形に本町の将来に益するところ大きいものと信じます。
 ともあれ、町史編纂の重要性が教育委員会で提案されて以来八年、今ようやく懸案の町史が上梓の運びとなりましたが、これひとえに野呂先生の町史完成への情熱を燃やされた五年間の労作であり、あらためて先生の御熱意に対し衷心から敬意を表し感謝申し上げる次第であります。さらにまた、幾多の不便を厭いなく遺跡調査に当られた千代肇氏、編纂に当って数繁く御審議いただいた町史編纂委員会の委員並びに資料調査に奔走された編集補助員の方々はじめ、資料提供に御協力くださった関係各位にも深甚なる謝意を表します。
 この町史が、広く町民に親しまれ愛読されて、戸井町の伸展の上に貢献せられるよう念願し、あわせて刊行に至る経緯を申し述べ発刊のことばといたします。(昭和四十七年九月)