大宣寺本尊仏(阿弥陀如来像)
戸井町館町にある大宣寺は、寺西大宣が創建した寺院で、創建は明治三十四年十月九日となっており、この日に本尊仏阿弥陀如来像を譲り受けたという。即ち本尊仏を譲り受けた日を創建の日としているのである。
この本尊仏は高さ二尺六寸五分あり、この仏像が大宣寺の本尊仏としてここに安置されるまでの経緯について、寺伝には次のように記されている。
函館別院輪番、荒木源理師が京都の某店から購入したものを寺西大宣師が懇望して譲り受け、自分の創建した大宣寺に安置したものである。仏像を譲り受けたのが明治三十四年十月九日で、代価は三十五円であった。
この頃の小売物価を〓河村家に伝わる資料で調べて見ると、米一俵五円五十銭、酒一升(大阪酒)五十銭という時代であった。阿弥陀如来像は米六俵余の代金、酒なら七十本(一升びん詰(づめ))の代金に相当している。現代で米六俵分或は酒七十本分の金とすれば、五万円前後の代金で、大金ではないが、現代の五万円や十万円以上の貨弊価値があったものと思う。
この阿陀弥如来像が、京都の某店に売られた経緯については知る由もないが、この仏像を安置していた寺が因窮(こんきゅう)して、京都の骨董店(こっとうてん)に売られたことが推定される。
荒木源理師がこれをいくらでその店から買い求めたか不明であるが、大宣寺の創建当時の寺伝に「三十五円で譲り受けた」と記録されているところから見ると田舎の貧乏寺としては三十五円という金は大金であったことがわかる。
大宣寺の寺伝には「この仏像は、曽(かつ)て比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)において、信仰の対象になっていたもので、千年の歴史を経たものと伝えられている。」と書かれている。
この仏像の正式な鑑定は受けていないが「推古仏」ではないかと言われている。寺伝の「千年の歴史を経たもの」ということが事実であれば、延喜(醍醐(だいこ))天慶(朱雀(すじゃく))天暦、天徳(村上)時代のものである。
「曽て比叡山延暦寺にあったもので、千年の歴史を経たもの」という寺伝は、荒木源理師がこの仏像を買い求めた時に、某店の主人が語ったことをそのまま記録したものと思われる。
大宣寺の開基寺西大宣師が、この本尊仏を譲り受けた頃も戸井は鰛の大漁が続いたのである。こんな時代であったので三十五円の大金を投じて、この阿弥陀如来像を買い求めることができたものと思う。
信仰の対象としての仏像は、時代が古くても新しくても、作者が誰であろうと、価格が高かろうと安かろうと変りはないと思われるが、文化財として貴重なものならば、これを明らかにする必要があると思う。機会を見て仏像研究の専門家に鑑定を依頼する必要があるだろう。