七、むじなに御馳走を取られた話

388 ~ 389 / 1305ページ
 昭和六、七年頃の秋の或る日、町〓池田の親父が、原木の某家の嫁取に行き、祝酒に酔い祝言の御馳走を持って夜遅く、鎌歌の峠を越えた。ところが峠にかかる頃から何かが足にひっかかって歩きにくかったが、強引に歩いて熊別坂まで来たが、ますます足に物がひっかかって一歩も先へ進まれなくなった。体も大きく力持ちであったが、何となく気持が悪くなり、酔もさめて来た。どうしても歩かれないので、熊別坂から引返し、日頃親しくしている鎌歌の〓塩越家の表の戸を叩いた。
 夜中であったので〓家では「何事ならん」と起きて戸をあけると〓の親父が真青な顔をして表に立っていた。
 「〓のオド今頃どうしたんだ」というと「原木からの帰りに熊別坂まで行ったが、どうしても歩かれないのでここまで戻って来た。今晩ひと晩とめてくれ」という。
 〓家で一晩とまって翌朝帰ったが、持って来た祝言の御馳走は全部なくなっていた。これは塩越初雄が「六つか七つの時のことだ」といって語った話である。
 これと似た話がある。これは原木の田崎清松が、自分の体験したこととして人に語った話である。
 清松は若い頃から原木の山で炭焼きをしていた。昭和三十八年頃新しい炭がまを造り、それが完成したので祝酒を飲み、山の神に上げた供物を持って、いい気嫌(きげん)で山を下りて来た。ところがいつも歩いている山道が平担な舗装道路になっており、いい気分で家へ帰った。
 正気づいて見ると、舗装道路を歩いて来た筈なのに、ズボンがバラへでも引っかけたようにさんざんに破れたり裂けたりしていて、山の神の供物は一つもなかった。
 清松は「おれはあの時むじなか狐にだまされたのだろう」と笑いながら語っていた。(河村武男談)
 昔浜中の石田常吉が嫁取りに行き、祝言の酒に酔って夜道を帰り、家へ帰って、風呂敷包みを開いて見ると、祝言の御馳走が一つもはいっていなかったという。村人たちは狐にとられたのだろうと噂した。(大江栄作談)