九、小安漁業協同組合

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 1、創立当時
 戦前は一町村一組合であったが、昭和二十三年水産業協同組合法が公布され、それに基いて昭和二十四年七月一日、戸井漁業協同組合が小安、釜谷、戸井、原木の四組合に分れたのである。
 水産業協同組合法によれば、漁業経営者二十名以上で単一組合を設置することができたが、行政庁の指導により、小安地区では二三八名の組合員をもって、昭和二十四年七月に小安漁業協同組合を設置した。
 
 2、創立来の組合長
  初 代  永井 義男 (昭和二四・七―昭和二九・六) 五 年
  二 代  松井 菊太郎(昭和二九・七―昭和三〇・六) 一 年
  三 代  永井 義男 (昭和三〇・七―昭和三一・三) 八ケ月
  四 代  島本 幸次郎(昭和三一・四―昭和三九・六) 九年二ケ月
  五 代  島本 石太郎(昭和三九・七―昭和四三・六) 四 年
  六 代  亀田 文之丞(昭和四三・七―現在)
 
 3、総会
 定期総会は毎年七月の昆布漁の始まる前に開催される。総会では前年度の事業報告、決算報告並に新年度の事業計画、予算案が審議される。役員の任期は三ケ年なので、三年毎に理事、監事、組合長の改選が行われる。
 組合員数は現在二四九名で、殆んどが昆布漁を主とし、昆布の外にはタコ、イカなどを漁獲し、最近ではワカメの養殖が盛んになって来た。
 又噴火湾近海で大量に漁獲されるスケソウダラを買い、これを加工する組合員が増加している。
 
 4、組合の事業の概要
 昭和二十八年頃から、沿岸漁業の不振挽回策として、大型漁船を購入して、遠洋漁業を試みたが失敗に終り、昭和三十年頃には漁船を売却して遠洋漁業をやめた。
 その後は漁業整備促進法に基いて、沿岸漁業の振興に重点をおき、浅海増殖事業を中心として、組合員個々の創意工夫による昆布、ワカメの養殖事業を行い、組合員の自己負担による投石などを行って、昆布、ワカメの増産に努力し、その効果が顕著にあらわれ、堅実な漁業経営基盤が組合員の間に定着しつつある。
 又小安地区の生産向上と安全操業のため、現在までに左記の三ケ所に船揚場が設置された。
 昭和四四年度 小安第一共同船揚場(五区)〓松永家横
 昭和四五年度 小安第二共同船揚場(二区)武井家下
 昭和四六年度 小安第三共同船揚場(三区)小安漁協下
 組合員は船揚場の外に小安地区にも漁港を設置すべきだという要望が高まり、港設置促進の機運が高まりつつある。
 信用事業においては、組合員の予金高は年々非常な伸びを示し、住宅資金、生活資金制度は満度に活用されている。
 又組合では凶漁対策の一つとして、漁家の副業に椎茸(しいたけ)栽培、アスパラ栽培、肉牛飼育などを指導奨励している。現在椎茸栽培戸数は約六十戸、アスパラガス栽培戸数は約二十戸であるが、アスパラガスは栽培の不馴れなことと病害の発生等で収穫が減少しつつあるため、栽培戸数は漸減している。肉牛の飼育者は組合の奨励にもかかわらず、放牧場が遠いため飼育戸数は極めて少ない。
 
 戸井漁業組合の変遷
  一、戸井漁業組合 自、明治三十年頃
           至、昭和八年
  二、戸井無限責任漁業協同組合 自、昭和八年八月二〇日
                 至、昭和二三年
     第二次世界大戦中は水産統制会により戸井漁業会と呼稱
  三、四組合併立時代(有限責任)自、昭和二四年四月
                 至、昭和四〇年三月
     1、戸井漁業協同組合
     2、原木漁業協同組合
     3、戸井西部漁業協同組合(釜谷、汐首、瀬田来)
     4、小安漁業協同組合
  四、三組合時代
     1、東戸井漁業協同組合(戸井、原木漁協が合併)
     2、戸井西部漁業協同組合
     3、小安漁業協同組合