十、漁家と出稼ぎ

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 戸井町漁家の主な生業は、七月二十日過ぎから十月上旬にかけての昆布漁で、一年間の漁業収入の約六割が昆布漁の収入なのである。したがって昆布採取には、老人、婦人、中学生、小学生までも動員されて、採取、乾燥、製造の作業に従事するのである。
 潮流や風のため海面に定着しない昆布採舟を、定着させて昆布を取り易くするために、舟のトモに乗ってトモガイで舟を操作することをトモドリと称し、トモドリをする者をトメトと称している。トメトは「トモ前をトル人」から転訛した方言である。
 このトモドリをする者即ちトメトの仕事を分担するのが、主に中学生と小学生の高学年の生徒である。中学校の女生徒のトメトも増加している。したがって授業日に昆布採取が行われる場合は、昆布採取が終るまでは授業が行われず、欠課時数が増大し、学校教育の障碍の一つになっている。これは昆布日本一を誇る下海岸、蔭海岸での昆布漁村の問題点である。
 然し組合役員や一般父母たちもこの問題を憂慮し、各戸が昆布乾燥機を導入し、夏休み期間中に大半を取り終り、教育への支障を最小限度に止めようと努力を続けている。
 昆布漁に次ぐ漁業はイカ漁であるが近年は漁獲量に豊凶があり、価格も不安定なので、昆布採取時期が終ると、関東、関西方面へ出稼ぎする人が年々増加している。出稼者の仕事は、土木、建築、工場労務関係の労働で、漁業収入に比べて賃金が高く、安定しているため、昆布採が終ると出稼ぎに行き、翌年の昆布採の始まるまで半年間町を離れるという者が増加している。出稼ぎは男ばかりでなく女も出かけるようになり、子供を家に残して夫婦で出稼ぎに行くという家庭も増加している。出稼ぎ期間の半年は老人、女、子供だけの町になり、労務者供給の町になるのである。
 又近年は戸井町にも過疎化現象が顕著になりつつある。戸数は僅かづつ増加しているが、人口は減少の一途を辿っている。漁家の子弟で漁業を継ぐという者が益々少なくなり、後継者問題が真剣に論議されるようになって来ている。
 昭和二十八年に、地元に水産専門の戸井高校が設置され、年々その設備内容を充実しつつあるが、地元に卒業生を受入れる水産関係の職場がなく、又自家の漁業を継承するという者もなく、殆んどの卒業生は地元を離れて都市に就職している。地元に残る僅かの卒業生も殆んど漁業と無関係な職場に就職している。
 こういう状態が益々戸井町の過疎化に拍車をかけており、戸井町の将来を考える時、誠に憂慮すべき現象である。
 鰮、鮪、鰤その他の回遊魚の大漁で繁栄を極めた戸井町も、現在はそれらの回遊魚も激減或は皆無の状態となり、昔日の面影がない。
 現在戸井町内の漁民は、漁業組合を中心として、養殖漁業、栽培事業の研究と実行に努力しているが、潮流が激しく、波浪の荒い海域でその実効を挙げるためには、幾多の障害点があり、解決すべき諸問題が横たわっている。
 一般漁民は指導者の憂慮とは別に、養殖漁業、栽培漁業に対する関心と熱意は稀薄、団結して実行に移すという段階までには程遠いという感じである。したがって昆布、イカによる収入と出稼ぎ収入を合わせて一家の生計を支えて行くという傾向が益々増大するものと思われる。こういう状態は今後の戸井町発展の上に大きな障碍となり、多くの問題点を残して行くことが予想される。