五、警察の見た戸井村(原文のまま)

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 (1)人情風俗の変遷及び良否
 当部内は毎年内地府県、本道各地より多数漁夫等の入り込み等あり、其の結果風俗頗る淫猥にして、私通或は姦通珍らしからず。然れども近年稍々(やや)この淫風も矯正せられつつあり。
 大正の時代に入り将(まさ)に十二の星霜を閲(けみ)するも、一般村民の思想尚低級にして、現代的の思想を加味するもの鮮(すくな)し。
 
 (2)町村睦否の状况
 戸井村は一致共同の美風に乏しく、兎角(とかく)意志の疎通(そつう)を欠き、甲は乙を嘲り、乙又甲を罵する等頗(すこぶ)る円満ならず。殊に戸井村字釜谷対村中(むらなか)(字小安の旧称)の両部落は、明治四十一年八月中、昆布採取上の紛争事件以来互に相反目(はんもく)し、犬猿もただならざる状態なりしが、近来に至り、両者稍々緩和したるが如し。
 
  「註」これは大正十二年に戸井分署長高橋雄治警部補が書いたもので、鰮大漁時代の戸井村の人情風俗をうかがうことができる文章である。又戸井西部の小安釜谷の不和は明治時代からで、特に昆布採取についての紛争は大小幾度もあったが、歴史に残るような大事件に発展したのは明治四十一年八月三日の事件とそれから五十年後の、昭和三十一年(一九五六)の事件である。歴史は繰り返すという諺通り、明治時代と同じような事件が昭和時代に繰り返されたのである。この二つの事件については、第七章産業の昆布漁の沿革の項で述べた。