一、戸井の方言

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 戸井の住民の大多数は、東北地方からの移住者の子孫である。東北地方のうち、特に多いのは、最も近い南部、津軽といわれた地方からの移住者である。
 戸井の方言を分類して見ると
  1、東北方言そのままのもの
  2、東北方言から転訛したもの
  3、蝦夷語そのままのもの
  4、蝦夷語から転訛したもの
  5、道南や戸井で生れたもの
 以上のようになるが、東北方言と東北方言から転訛したものが、大半を占めている。したがって、戸井方言はたいてい東北地方にも通ずる。戸井と津軽、南部は同一言語圈(げんごけん)ということができる。
 戸井の方言を調べるには、東北方言、特に津軽言葉、南部言葉の語意、語感、アクセント、音韻(おんいん)転訛等を知悉(ちしつ)していなければならない。又蝦夷語についての知識も必要である。更にこの地域に相当年月生活した者でなければ正確な調査はできない。
 方言調査は、机の上で万巻の文献を読んでも、その万全は期せられない。方言調査は、足を使っての実地調査と同一言語圈との比較調査に加えて、文献による歴史的な調査によらなければ、正確なものは生れない。
 数年間に亘って集めた戸井方言を、五十音順に並べ、その意味、転訛の経路等について簡単に解説したものを『戸井の方言誌』として載せた。
 然し時世の進展、住民の生活様式の変化、教育の普及につれて、昔からの方言が次第に姿を消しつつあり、この項に集録した戸井方言の中にも、現在死滅し、殆んど使用されていないものも若干ある。又戸井全域にわたる方言でなく、一部落のみの方言も僅かある。
 然し明治、大正の頃に生を享け、この地域で生活した人々は、これらの方言は殆んど知っており、日常使用していることばも相当数ある。それらの人々にとっては、なつかしいことばであり、一つ一つのことばによって、幼なかった頃、若かった頃の思い出が蘇(よみ)がえって来るだろう。
 然し明治、大正、昭和初期に生を享けた人々が死に絶え、太平洋戦争後に生を享けた人々の時代になり、二十一世紀にはいる頃には、ここに戸井方言として挙げたものの大部分は、死滅して過去のことばになるだろうと推定している。この意味からも「戸井の言葉の歴史の一頁」として、今書き残しておく必要があると思うのである。
 ただ方言を記録する場合、その意味や語感を適確に表現することのむずかしい言葉が若干ある。ましてそのアクセントを適確に表現することは、発音符号を使っても、微妙なアクセントの表現のむずかしいものもある。
 昔なつかしい戸井の方言を採録するに当って、戸井の方言が姿を消し、死滅することを惜しむものではない。
 共通語とは異質な言語環境で生れ育った、戸井の人々はもちろん、道南一般の人々は、共通の広場に出た時に、言葉や発音で社会的にも、政治的にも非常に損をしている。
 学校教育や社会教育を通じて、共通語で生活する地域環境をつくり上げ、共通語を自由に駆使(くし)できる言語修練をつむように努力しなければならない。
 このことが、言語によって社会的、政治的に損をして来た長年に亘る立遅れを取り戻す一つの方向であり、目標でもあろう。 次に六ケ年に亘って集めた戸井の方言に、その意味や転訛の経過等について簡単な解説をつけたが、方言の持つ語意、語感を適確に記述することの困難なものも若干ある。
 各方言の傍に・印を付してアクセントを表示したが、これも不正確なもので、科学的なものではないが、戸井の方言を可能な限り、正確に表記しようという私の試みの一つである。戸井の方言に付したアクセントも若干の誤りがあると思われる。
 
  アクセントの用例
   ① ハ(・)シ(箸)  ハシ(・)(橋)
   ② ハ(・)ナ(花)  ハナ(・)(鼻)
    戸井方言
   ① ア(・)ガ(赤ん坊) アガ(・)(舟のすき間からはいる水)
   ② オ(・)ンコ(「植」イチイの方言) オンコ(・)(弟の呼称)
   ③ ゴ(・)ッコ(ホテイウオの方言或はドモリのこと) ゴッコ(・)(魚の幼児語)
   ④ コ(・)ンボ(昆布のこと) コンボ(・)(こぶのこと)
 
 ここに集録した方言のうちでも、現在死滅している方言も相当数ある。方言の消滅、死滅を惜しむ者ではないが、戸井に移住した祖先の人々が、郷国から持って来、人々の生活を支えて来た無形文化遺産である。こういう考え方から死滅した戸井方言も採録した。