戸井村教委が村史を編纂することをきめ、村内の有識者、古老若干名を編集委員に委嘱して資料の調査蒐集に着手したが、その後編集会議も開かれず、資料の集約もできずに三ヶ年の日時を経過し、開店休業の状態であった。
昭和四二・七・三〇
村教委は昭和四十一年四月、日新中学校長として赴任した野呂進に、町史編纂を委嘱した。爾来野呂進が独力で編纂の仕事を経続し、左記の順序で、「戸井郷土誌稿」及び「年表稿」などを刊行した。
昭和四三・ 六 戸井郷土誌稿、一集を刊行。(一〇〇部 四三頁)
昭和四三・一〇 戸井町史年表稿を刊行。(二〇〇部 六五頁)
昭和四三・ 九 戸井郷土誌稿第二集を刊行(二〇〇部 六二頁)
昭和四三・一二 名誉町民長谷川益雄の自叙伝『追憶の記白菊』を刊行(一〇〇〇部 一二八頁)
昭和四四・ 一 戸井郷土誌稿第三集を刊行(二〇〇部 六八頁)
昭和四四・ 八 戸井郷土誌第四集を刊行(二〇〇部九七頁)
昭和四六・ 七 自叙伝『白菊』の読後感集『白菊の木霊(こだま)』を刊行(三〇〇部 八六頁)
郷土誌稿第四集刊行後「戸井町史」の綜合編集に着手した。
昭和四六・七・
町長より左記の人々が町史編纂委員に委嘱され、編纂委員会が組織された。
編纂委員
中釜 実 (町 長)
吉崎 仁三郎(町議会議長)
堀田 久善 (教育長)
飯田 弘一 (教育委員長)
小野 武男 (宮川神社々掌、教育委員)
寺西 粂丸 (大宣寺住職)
佐藤 可也 (町議会議員 民生、教育常任委員長)
宇美 藤蔵 (東戸井漁業協同組合長)
吉田 勇一郎(戸井西部漁業協同組合長)
亀田 文之丞(小安漁業協同組合長)
野呂 進 (日新中学校長)
昭和四六・七・二二
第一回の編纂委員会を開催し、編纂委員長に吉崎仁三郎、事務局長に堀田久善、編集長に野呂進を推薦決定した。
昭和四七・二・八
第二回編纂委員会を開催し、印刷部数、印刷代金等の概要をきめ、印刷は札幌市高速印刷センターに依頼することを決定した。
編纂委員の依嘱と同時に、左記の人々を編集補助員に委嘱した。
山田 政幸 (小安小学校教諭)
寺本 良一 (潮光中学校教諭)
吉川 謙一郎(汐首小学校教諭) (昭和四七・四転任)
進藤 寛 (日新小学校教諭)
青木 路夫 (日新小学校教諭)
内田 好宏 (日新小学校教諭)
佐藤 進 (日新中学校教諭)
森 礼一 (日新中学校教諭)
林 憲昭 (鎌歌小学校教諭)
東 隆 (戸井高校教諭) (昭和四七・四転任)
池田 正義 (町教委社教主事)
編集補助員
昭和四十二年以来編纂の仕事を継続して来た日新中学校長野呂進を編集長として編集委員会を組織し、未調査の分野について項目別に資料の調査、蒐集を分担し、綜合編集の作業を開始した。
又写真を豊富に入れることとし、写真班員として左記の者をきめた。
池田 正義(町教委社教主事)
佐藤 進(日新中学校教諭)
青木 路夫(日新小学校教諭)
進藤 寛(日新小学校教諭)
昭和四七・一二・二三
六ヶ年の歳月を閲してまとめた原稿の編集、割付の作業を完了し、写真原稿の一部を残して印刷所への納稿を完了した。
昭和四八・三・三一
初校、再校、三校を完了し、待望の『戸井町史』一千部を刊行した。