以上史料に基づいて地名の起源をたずねたものの他に、明治時代に付けられた地名であろうと思われる地名が多数ある。椴法華村近隣の地域では、海岸添えの地名は江戸時代からほとんどの地域に付けられていたが、山手側の地域では、道路がほとんどなくそれに旅人もめったに通行せず(紀行文などにも記録されず)、また産業の中心が漁業であり、農業、林業共に未発達で住民の土地所有者も無かったため、これらの地域では主な山が知られるのみ、その他は地名が記録されずに過ごされてきたようである。
しかし明治時代に入り、土地所有が明確化され、鉱山・林業・交通などの発達により、これらの地域にも地名が必要となり、古くからの呼び名又はその場所に在る建造物、地形の特色などを以って地名とするようになったようである。このようにして付けられたと思われる地名には次のようなものがある。
深沢・深井沢・八幡前・赤井川・紙絵山・海向山・金堀沢・冷水・栳岱・椴山・二股