政府は財政収入を増加させるためこの法を実施する。この時は原料葉タバコのみ専売を実施したもので、製造と販売は民営にまかされていた。
・三月 米価上昇して函館で一石二十円となる。(明治三十年は一石約十五円)
・五月二十二日 『函館新聞』を『函館毎日新聞』と改題する。
九月五日から七日にかけて連日の雨のため、椴法華村の山岳崩壊、男一名死亡女二名怪我潰家四戸半潰二戸道路十ヵ所「北海」
・九月六・七日 全道的に豪雨に襲われる。全道的には二日間で死者二百四十八名・流失倒壊家屋三千五百戸余・田畑の浸水五万六千町歩の大水害となる。
・この年秋、水害の影響により渡島地方への移民が減少する。
・この年、岩鼻敏、赤井川硫黄鉱山の採掘を始めるが製錬にまでいたらず。
・この年、前半は不景気が続き九月には全道的に大洪水の被害を受けたが、秋に入って他府県の農業が豊作に恵まれたため、米価が安定し以後景気がやや回復する。
・この年、徳富蘆花の『不如帰(ほととぎす)』が発表される。(三十一年十一月から『国民新聞』に発表)
上流階級の封建的家族制度の中で、薄命な若妻が愛する夫と離別しなければならなかった悲恋物語であるが、蘆花はこの物語の中で新しい時代のヒューマニズムについて問題を投げかけ、封建的家族制度に矛盾を感じつつあった当時の人々から大歓迎を以て受け入れられている。文明開化によって生活様式はずいぶん変化したが、精神的文化や制度的文化がまだまだこれに追いつけない当時の世相が窺がわれる。
当時の主なタバコ販売店と品名