昭和十三年

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 昭和六年に始まった満州事変からの長い戦いの中で、日本は兵器や軍需物資の不足に悩みはじめていたが、中でも石油の不足は深刻であった。このため昭和十三年三月「石油販売取締規則」が公布され、同年五月からは切符なしでは、石油・ガソリン等を購入することは出来なくなった。この年八月渡島支庁は、少しでも燃料が節約できるように、管内の市町村に対して漁船は動力に合わせて帆を利用するように指示している。
 椴法華村では、何度かの不況を乗り越え、ようやく動力船が普及しはじめたところであり、(いか釣り船は、動力船による漂流操業が漁法の主流となっていた)これから水産物の漁獲高を上昇させようとする矢先のことであった。云い伝えによれば、実際には出漁しないが、使用に耐えないような船も登録しておき、油の配給が受けることが出来るように図られていたと云うことである。
 またこの年の十二月には、渡島地方の各市町村で防空訓練が実施されている。
 本村ではかつて昭和五年九月に航空演習の名目で、敵機襲来を想定した演習が実施されたことがあったが、その内容は消防団などの極く限られた人々に依る航空機の発見・識別・報告などであった。
 しかし昭和十三年十二月に実施されたものは、全村民が何らかの形で参加させられたものであった。この防空訓練は軍の命令に基づくものであり、村々では在郷軍人分会や消防団を中心として、初歩的かつ机上訓練的な部分も有ったが、敵機の襲来を想定し、警戒体制・燈火管制・発見報告・警報発令・避難訓練・消火訓練等の各種の訓練が実施された。このような訓練が実施された理由は、本土に敵機が接近した場合、従来の消防団では消防活動は可能であるが、防空活動の訓練はほとんどなされておらず、まして住民は空襲の経験は全く無いため、これに対する知識を与えかつ敏速に行動できるようにするためであった。