昭和十五年

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 昭和十四年九月第二次世界大戦が開始され、昭和十五年に至りヨーロッパやアジアでは戦雲は急を告げはじめていたが、この暗雲を打ち払うかのように「紀元二千六百年」の行事が日本国中で催されることになった。椴法華村では昭和十四年の鰮漁があまりふるわなかったため、親方衆の表情はあまりさえなかったが、村人は谷村鉄山に稼ぎに行きまずまずの生活をしながら十五年の春をむかえた。役場ではこの年十一月一日の紀元二千六百年奉祝記念日に向けてどんな行事や記念事業を実施したらよいのか、村長をはじめ議員・在郷軍人・警防団・青年団・婦人会等の代表を集め会議が何度も開催され、役場と村民が一体となって記念日を実行すること、記念事業として国民健康組合の創立・火葬場の新設・村史の編纂・駐在所の新設その他を実施することが計画化された。
 その後十一月一日が近づくにつれて、各種の公やけの会合では何処へ行っても紀元二千六百年の話が必ず出され、神国日本・皇國日本が常に美化されて人々の口にのぼっていたといわれている。しかし村民の本当の話題は「今年の鰮はどうだべ」・「戦争はどうなってるんだべ」・「買いだめに函館へ行がねが」・「こんだぁ誰れに赤紙がくるか」というようなことであったと云われている。
 次に当時の村の空気を伝える資料として、元村長高柳良雄と村長伊藤國平との間で引き継がれた「引継演説書」を記すことにする。
 
     事務引継ニ関スル件
    今般當村長退職致候ニ付別紙目録ニ對シ事務引継候也
     昭和十五年七月十七日
        元椴法華村長 高柳良雄
    椴法華村長 伊藤國平殿
      引継演説書
     計画中ノ事件
   一、椴法華湯ノ川ニ至ル鐵道省營バス運行方ノ件
    本件ハ本年春鉄道省官吏大島参與官一行戸井線視察ノ際及其他ノ機会ニ於テ本下海岸線ヲ省營バス運行方陳情中ナレバ之レガ実現ヲ期スベク努メラレ度シ
   二、椴法華森港間地方費道改鑿ニ干スル件
    本件ハ十余年前ヨリ準地方費道トシテ認定セラレアルニ拘ラズ尾札部椴法華間人馬ノ通行スラ出来ザル処アリ地方費道ノ名ニ伴ハザルモノアルノミナラズ兩村関係住民ノ不便甚シク漁獲物モ搬出ニ困難中ニシテ之レガ全通ヲ見ル場合ハ函館森間環状海岸線ノ完成トナリ住民ノ福利大ナルモノアリ
    昨年来再三道廳及支廳・土木現業所等ニ陳情シ最小限度ノ計画ヲナスベク言質ヲモ得居ル次第ナレバ極力促進運動行ハレ度
   三、國費大漁港築設方陳情ノ件
    本村ハ太平洋ニ面スル一大魚田ニシテ内地及近海他村ヨリノ漁船モ入港シ且ツ本村亦六十余叟(ママ)ノ発動機船ヲ有シ將来大イニ海田ノ開発ニ努力水産業ノ発達ニ寄與スベキ地ノ利ヲ有スル処ナルヲ以テ本村内ニ一大国費漁港ノ築設ヲ陳情中ナレバ之レガ実現スベク努メラレ度
   四、二千六百年記念事業ノ件
    1、記念事業トシテ国民健康組合ヲ創立シタルヲ以テ之レガ発達ニ努メラレ度
    2、火葬場築設ニ干スル件
    記念事業トシテ火葬場ノ築設ノ計画ヲナシ目下二千五百余円ノ寄附ヲ募集ノ上收入済ミニシテ建設認可申請中ナレバ速カニ之レガ築設ヲ了知セラレ度シ
    3、村史編纂ノ件
    記念事業トシテ村史ヲ編纂計画中ニシテ正木新一郎先生ニ嘱託中ナレバ、速カニ実現スル様致サレ度シ
    4、一般寄附金募集ニ依ル記念事業
     イ、巡査駐在所建築ノ件ハ目下入札スミニシテ建築中ナレバ充分監督シテ完成ニ努メラレ度
     ロ、警防機械器具整備ノ件ハ目下夫ヲ手配中ナレバ之レガ完備ニ努メラレ度シ
     ハ、貯水池設備ノ件ハ長永長四郎氏ヨリ指定寄附三百五十円申出アルニ付之レガ寄附金収入済ミ之上ハ計画ニ着手セラレ度 (以下省略)