戦時下の生活

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 太平洋戦争の緒戦は勝利に勝利が続き、これにより軍部及び時の政府は、米英組みしやすしの感を抱き「大東亜共栄圏」を確立させべく戦域を拡大していった。
 こうした軍部の夢は戦争が長びくにつれ、次第に神掛り的な色彩を濃くし、精神力で全てを補い戦争を遂行しようとした結果、国民にあらゆる忍苦と犠牲に耐えるように求めるようになった。一家の柱である父・夫・息子を兵隊に出し、毎日その身の安全を願う家族にとって、戦争の一日も早い平和的終結が望みであり、更に不幸にして最愛の人を失った人達にとつては、○○○戦線勝利の報告は唯空虚に胸にひびき悲しみの姿は見せなかったが、その心中は苦渋と不安に満ちたものであった。
 我が椴法華村においても昭和十七年頃から○○○○英霊帰還村葬施行が時々取り行われるようになっていった。また「勝った・勝った」の大本営発表の中で戦争を批判することは許されず、国債や貯金などに協力を強く求められ唯でさえ苦しい生活が、更に苦しくなったが、憲兵・警察・警防団・翼賛壮年団・隣組などの組織が、江戸時代のキリシタン禁教のようにガッチリと組織され「官尊民卑・上意下達」の風調が世間を強く支配していたこの時代には、不平すら言うことを許されなかった。