昭和二十六年

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◇朝鮮戦争と講和条約
 昭和二十五年六月朝鮮戦争が勃発し、朝鮮に於ける戦闘は日に日にその激しさを増していく最中、昭和二十六年一月一日マッカーサーは年頭声明で、日本の講和と日本の武装を強調した。次に朝鮮戦争と講和の歩みを簡単に記してみることにする。
・一月 北朝鮮軍京城に再突入。
・一月二十五日 アメリカ講和使節団ダレス来日。
・三月 国連軍、京城を再奪還。
・三月 ダレス対日講和条約の草案を発表。
・四月 連合軍最高司令官マッカーサーを罷免
・七月 朝鮮休戦会議を開始。
・八月 アメリカ、イギリス、対日講和条約案を発表。
・九月 サンフランシスコ講和会議、五十二ヵ国参加、その中の四十二ヵ国と講和条約を調印する。
 
   日本との平和条約(抄出)
  (昭和二十七年四月二十八日条約五号)
  第一章 平和
第一条(a) 日本国と各連合国との間の戦争状態は、第二十三条の定めるところによりこの条約が日本国と当該連合国との間に効力を生ずる日に終了する。
 (b) 連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する。
  第二章 領域
第二条(a) 日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利・権原及び請求権を放棄する。
  (中略)
 日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
  (中略)
  第三章 安全
第五条(a) 日本国は、国際連合憲章第二条に掲げる義務、特に次の義務を受諾する。
 (ⅰ) その国際紛争を、平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決すること。
 (ⅱ) その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使は、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むこと。
 
 昭和二十五年より朝鮮戦争に出撃するアメリカ軍が日本を基地としているため、外国の侵略を受けるのではないかという心配があったが、この年は年頭からマッカーサーにより武装を求められるなど再び戦争に巻き込まれそうな空気が一層濃くなった年であった。
 また一方では、第二次世界大戦後の対日講和の準備がなされており、本当の平和はもうすぐそこまでを感じさせる年でもあった。
 この両者の道から幸いにしてその後の日本は、平和の方向に歩みを進め、後に世界の工業国として繁栄するようになったが、もしこの時戦争への道を進めば、ソ連は北海道進出を計画していたという説もあり歴史の深淵さを感じさせる。

朝鮮戦争 昭和25年6月26日北海道新聞

・この年国内では、五月五日児童憲章宣言。九月一日民間放送が開始されていた。(新日本放送、中部日本放送)
・この年流行歌では「東京シューシャンボーイ」・「高原の駅よさようなら」・「アルプスの牧場」・「モンテンルパの夜は更けて」などが流行する。また映画では「羅生門」・「カルメン故郷に帰る」・「めし」が上映され、文芸では「山びこ学校」無着成恭・「野火」大岡昇平などが発表される。