昭和二十五年

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・一月一日 満年齢実施。
・三月 物価のアンバランス起きる。
 東京-函館間の汽車賃が八百八十円に値下げされる。(昭和二十四年五月から千円であった。)この他に電灯料・入浴料・理髪料などがやや値下りするが、石炭の供給事情が良くなったためであろうか。またこれに釣られるように、函館でのヤミ米の値も下がり一升八十円位となる。(配給米は一升六十四円八銭)このように値下がりしたものもあったが、逆に衣料品の値段が急上昇し、足袋一足が百七十円、キャラコ一ヤールが二百二十円もするようになっている。九月一日から衣料品切符制が廃止され自由販売になることから、商人達が売りおしみをしたためであろうか。(函館での様子)
・四月一日 煙草配給撤廃、鮮魚・綿製品の統制が解除され、自由販売が認められる。
・五月三十日 椴法華村開拓農業協同組合が結成される。
・九月十四日 生徒のいか釣りが問題となる。
 この頃、渡島地方沿岸の村々では、家計を助けるため「いか釣」に出漁する男子中学生が多数おり、大部分が睡眠不足で且つ学業もおろそかになり、発育盛りの中学生の健康に悪影響を与えるものと考えられる状態となっていた。このような訳でこれ以後中学生による「いか釣」は禁止されるようになっていった。

昭和25年恵山沖の烏賊釣り 昭和25年8月19日北海道新聞

・九月十五日 上水道工事の着工。
 この日八幡町・浜町境界T字路で上水道の起工式が実施される。
 明治四十三年頃、番屋川を水源として木管簡易水道が敷設され、その後何度か修理や給水地域の拡大などが行われたが、昭和二十七年頃には、木管の老朽化とともに給水範囲もせばまり、次第に使用に堪えないような状態になりはじめた。このため全村に給水出来るような新式の水道設備の新設が村民から強く求められるようになり、この日起工式をむかえたものである。その後工事は順調に進められ、南部(椴法華村字元村)・北部(椴法華村字恵山)ともに十一月三十日に竣工した。
 総工費、千二百三十五万八千三百十六円八十五銭。総給水人口三千五百人、一人平均給水量百二十立方米。