明治七年五月二十三日の開拓使布達第六号により総代、副総代の制度が全道的に敷かれるように計画され、その後、各大小区ごとに村民の公選によって総代、副総代が選出され、明治九年四月十八日、開拓使がこれを任命するという手続が取られた。
この時、椴法華の属する第一小区では、副惣代(副総代)に増輪半兵衛(尻岸内)が選出、任命され明治九年十年と続けている。(総代人については不詳である。)なお地域住民の代表者として総代、副総代は任命されていたが現在の村議会議員のような権限はなく(予算や決算について協議する権限なし)限られた範囲でしか行政に関与することができなかった。
(二) 町村総代人と小区総代人
明治十一年六月五日、乙第十九号により、「総代人撰挙法及総代人心得」が布達され、従来の「総代、副総代」の名称から、「総代人」と称されるようになり、各町村二名の町村総代人と一小区二名から四名の小区総代人が選出されるようになった。
・町村総代人の選出方法
町村に本籍を持つ二十歳以上の男子で、管内に不動産を有する者が選挙を行い、各町村二名の総代人を選出する。
・町村総代人の被選挙権
総代人選出の条件に加えて、管内に百円以上の地券を所有する者、あるいは中等以上の身代で管内に不動産を所有することが条件とされていた。
・小区総代人の選出
区内町村総代人の中から互選により、小区総代人を選出する。
総代人撰挙法
明治十一年六月五日 乙第十号布達
九年十月第百三十号公布ノ趣モ有之ニ付、総代人撰挙及総代人心得書別紙ノ通相定候条、右ニ準拠早々撰定ノ上来ル九月迄ニ官轄庁ヘ届出ヘシ。
第一条 一町村毎ニ(一町中ニシテ数丁アル者ハ合テ一町トシ、又村ハ本村ニ合テ一村トス、若戸口寡少ナル他ハ数町村ヲ合併シテ、便宜に任スルモ妨ナシ)年令二十年以上ノ男子ニシテ管内ニ(本庁支庁ノ管内)百円以上ノ地券ヲ有スル該町村本籍ノ者二名ヲ撰挙シテ、之ヲ町村総代人トナス。
但シ百円以上ノ地券ヲ有スルナキ町村ハ、中等以上ノ身代ニシテ、管内ニ不動産ヲ有スル者ヲ撰ヲ得ベシ。
総代人心得
第一条 総代人ハ九年十月第百三十号公布ニ依リ、金穀公借共有物取扱土木起工等ノ事ニ預ルヲ以本務トナスト雖、時宜ニ寄人民ノ利害得失ニ関スル事ハ区務所ヨリ議スル事アルヘシ、但有志醇金ニ出テ一区一町村ノ課出ニ非ル土木起テノ如キハ本文ノ限ニ非スト雖、一区一町村ノ利害得失ニ係レハ之ニ干預スル事ヲ得。
第二条 前条ノ場合ニ於テハ、実際民情ヲ酌量シ、宜ク公利公益ヲ目的トシ、必シモ軽挙アル可ラス。
第三条 九年第百三十号布告第二条ノ場合ニ於テハ、該条但書ニ依リ其代理トナルヲ得ヘシ。
第四条 小区総代人、町村総代人管掌ノ区分ハ唯事ノ大小等ニ寄ル者ト雖、第百三十号公布第一条ノ場合ニ於テハ其別ナキ者トス。(以下略)
・椴法華村の総代人
明治十二年八月の椴法華村総代人として、佐々木弥三郎、越崎與作が知られているが、現在の所、この時の小区総代人の名前が判明していない。
(三) 町村総代人と郡総代人
明治十三年一月大小区制が廃止されて郡区町村制が実施され、小区総代人が廃されて、郡区総代人が置かれることになった。
これに伴って従来の「総代人撰挙法と総代人心得」も一部改正された。次にその主な改正点を記すことにする。
○町村総代人及び郡総代を各一名ないし二名置くこと。
○任期を二年とし、その半数を年ごとに改選すること。
○選挙資格を町村内に一カ月以上居住する二十歳以上の男子とすること。
などであった。
この(三)の制度は、明治十三年から二級町村が施行される時まで存在していたと言われているが、椴法華村では、資料が乏しくその一部が知られているにすぎない。
『明治四十一年函館支庁管内統計』
戸長 一 書記筆生給年額六百円
収入役 三 附属員給年額五十円七十五銭
附属員 一
町村総代人選被選人員
総代人 二
選挙権ヲ有スルモノ 百二十八
被選挙権ヲ有スルモノ 三
(なお筆生とは当時羽織はかまを着用し文字どおり筆により文書を記述し役場事務に当っていた者で、現在における役場吏員に相当するものである。)
年 | 氏 名 | |
明治一三年 | ||
明治一四年 | ||
明治一五年 | 据 置 | 川口 勝次郎 |
据 置 | 越崎 與作 | |
明治一六年 | 改 撰 | 三ッ石 岩助 |
改 撰 | 川口 勝次郎 | |
明治一七年 | 据 置 | 三ッ石 岩助 |
据 置 | 荒木 藤八 |