大正八年四月一日から椴法華村は二級町村制が施行され、従来の椴法華村戸長役場は椴法華村役場と改称されることになった。(役場庁舎は旧戸長役場の建物を使用、現島泊百十一番地役場職員住宅木造平家三十八坪を使用)
これまで村の長であった戸長は「村長」とよばれるようになり、吉田慶太郎は大正六年十二月から戸長に任命され、二級町村制の施行された大正八年四月一日からは引き続き初代の村長に任命されている。
前項でも記したように二級町村制の施行に伴い、従来からあった総代人は廃止され変わって、我が椴法華村に村議会が設置される運びとなり、大正八年五月三十日、村民注目のうちに第一回椴法華村会議員の選挙が行われることになったのである。