鱈釣船の漂流

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 「原始謾筆続編年表四十七」によれば、文化十年(一八一三)冬、箱館の鱈釣舟二艘が尻労(青森県大畑)へ漂着したと記されている。また「原始謾筆続編年表五十二」によれば文化十四年(一八一七)の事件として次のようなことが記されている。
 
   十一月中旬石持浜へ江山根田内鱈釣船三人乗漂着同日長後浜へも一艘漂着と聞り、されは同月上旬に江山、臼尻の鱈釣船二艘行衛知らすも放されしと根田内漂流人が話せしこそ止へからさる業ならしされハ近年鱈釣船多く外浜へ漂着たれハ彼灘の人々哂落にハ太洋に漂放たらん処を失ふ船人の魯西亜より帰り来れる諦(アキラメ)をなさん
 
 文化十四年(一八一七)十一月中旬下北半島の石持浜へ江山根田内(恵山町)の鱈釣船三人乗組が漂着した。
 また聞くところによれば、同日長後浜へも一艘漂着したということである。
 十一月上旬江山(恵山)臼尻の鱈釣船二艘が行衛知れずとなりあきらめられたと根田内の漂流人が話してくれたが、これもやもうえないことである。
 しかし近年、鱈釣船が多数、外浜(下北半島)へ漂着するが、荒波にさらされる鱈釣船の中には、大海に漂流し、生死もわからぬほどであったのに、ロシアから帰って来た人の例もあり、あきらめてはいけない。