昭和初期の鱈漁業

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 昭和初期椴法華村の鱈漁業の様子はどのようなものであったろうか、『昭和九年、渡島支廳管内水産業概要』は、当時の鱈漁業について次のように記している。
 
   (鱈延繩業)
  船數  發動機船二十二隻(四人乗)、川崎船二隻(一隻八人乗)、モチップ十四隻(四人乗)、昭和五・六・七年トモ。
  漁期及漁場 漁期ハ十一月中旬リヨ翌年五月末マデ、漁場ハ北方乃至北東凡七里以内二里乃至三里以上、海深百尋内外ヨリ二百尋ニ及ブ。但百尋ヨリ百二、三十尋ヲ主トスルモ十二月末ヨリ翌年四月二十日頃マデハ百五、六十尋ヨリ二百尋以内ニ使用ス。
  構造  桁繩七十號綿糸、やめ十五號綿糸長六尺五寸ノモノヲニ尋間ニ附ス。六十本付トス。釣鈎ハ一匁三分トス。瀬繩ハ麻十二枚素及六枚素ヲ使用ス。中瀬二本兩端二本兩端ノ錨ハ一貫五百匁、中瀬ハ一貫二百匁、配了リハ三貫錨ヲ用ユ中瀬ハ二十五枚又ハ二十枚毎ニ入ル。三、四月ハ留繩トス。一枚ノ繩ニ普通三百匁ノ石ヲ二個又ハ三個附ス。
  餌料  鰮・柔魚・蛸ヲ使用ス。
  經營方法 歩合ニシテ漁具ハ銘々持チトシ費用ハ各自分負担ス。歩合ノ方法ハ船一口、各乗組一口宛、繩ハ漁期中補充ノ分ハ船歩トシテ之ヲ負擔ス。
  昭和七年頃ノ漁況ヲ聞クニ一隻最高千五百圓、最低五、六百圓位ニシテ、鱈ノ外鯳モ混漁ス。一日凡鱈十五、六束ヨリ二十束ヲ盛期トシ、其外ハ一日五、六束ニ止マル。鯳ハ一回ニ(に)百五、六十尾ヲ混入ス(鱈鮮魚ハ一束二圓、昭和七年鯳ハ一尾一銭位トス)

漁獲高


タラ
備考 右の表は昭和四・八・九・十二年の椴法華村々勢要覧に基づき作成す。