昭和十一年以後の鱈・スケトウ鱈

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・昭和十一年鱈不漁
・昭和十二年鱈好漁、鱈の価値上昇
・昭和十五年、椴法華村鱈大漁となるが、それ以後この年のような鱈の大漁はみられなくなる。なおこの年は、スケトウ鱈も豊漁で、鱈、スケトウ鱈、ともに昭和十五年から二十年までの間の最大漁獲量となる

椴法華村・鱈・スケトウ鱈漁獲高(単位 貫)
昭和二十七年北海道漁業生産統計表

 上の資料からも知られるように、昭和十五年から昭和二十年にかけて、鱈の漁獲高が急激に減少していることがわかる。
 この原因は何であろうか。
・鱈は、スケトウ鱈よりも移動性の少ない底棲魚であるため頗る濫獲になりやすいこと。
・大正七年に機船底曳船に動力揚網機が採用され産卵廻遊する途中の恵山沖付近で大量に漁獲されてしまったこと。
・戦争の激化により昭和十七年頃より油不足や軍事上の理由による出漁制限等により出漁船が減少したこと。
・鱈の稚魚、幼魚の保護に力を入れなかったことなどが原因であると言われている。
 なお、この時代の鱈の加工品としては、塩鱈・干鱈胃、干鱈、塩鱈子等が主なものであった。