こうした中で昭和四十三年十一月、椴法華漁業組合により延縄式(五十メートル、二十五基)による昆布の養殖試験が実施され、結果成績が良好であるため、以後昭和四十六年より本格的に昆布養殖が実行されるようになった。
昭和四十六年の椴法華村では、ほとんどの船が動力船(船外機を含)になり、烏賊、鱒等の釣漁業、昆布・わかめ等の採草漁業を営んでいたが、漁業生産は、回遊魚の年変動が激しく、このため釣漁業には豊凶による漁獲量の変動が多くともすれば、漁家の経済を不安定にすることがあった。こうした状況からより安定した漁業経営を求め、比較的収入の安定している昆布漁業に経営の基盤を転換しようとする村民が増しつつあった。このような状勢を把握した村と漁協は、更に昆布の増産をするために精力を傾けるようになり、年々計画的に国、道、村の援助を受け、昆布養殖施設の増強につとめ、更に従来からの投石による昆布礁に精力がそそがれることになった。
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