椴法華漁業協同組合の設立

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 昭和二十三年十二月「水産業協同組合法」が制定され、この法は翌昭和二十四年二月十五日より施行された。このため我が椴法華村でも昭和二十四年春から漁業組合設立の準備がなされ、六月二十四日「椴法華漁業協同組合」が設立されることになった。
 このようにして設立された漁業協同組合は漁民の協同組織として、生産・販売・金融・消費などの面で、漁民生活の向上のために事業を起こそうとしていた。しかし戦後の経済混乱に起因する物資の不足や自己資金の不足、旧漁業会時代の不良資産や未収金のあとしまつ等により、その経営はなかなか困難であった。こうした悪条件の中で設立当初の漁業協同組合は、組合員の意識の向上・漁船・漁具購入資金の調達、インフレ下における貯蓄の低調等多くの課題を乗り越えていかなければならなかった。
 なお当時このような問題をかかえていたのは、椴法華村の漁業協同組合ばかりでなく、全国の発足したばかりの組合の共通した悩みであったと云われている。
 その後昭和二十六年四月「農林漁業協同組合再建整備法」が公布され、政府は各漁業組合に五年を目標とした再建計画を立てさせ、増資奨励や利子補給金などの援助を与えることにした。椴法華村においても、このような政府の漁業協同組合に対するテコ入れと、漁業組合内部の努力により以後次第に経営は改善されつつあった。
 こうした中で昭和二十七年頃から組合全体の事業として、昆布の増殖をはかるため岩礁破砕事業が行われ、更に組合員個々に対する事業として磯船建造資金・昆布漁着業資金・いか漁着業資金の貸付等が行われるなど、漁村の振興対策に本腰が入れられるようになり、その後日本経済の復興に伴い、椴法華漁業協同組合の業務内容も次第に拡大され、かつ充実したものとなっていった。