次に昭和五年の椴法華村信用購売組合の実態を知るため当時の新聞から抜き書きする。
昭和五年三月十三日 函館日日新聞
▲椴法華信用組合は大正六年の設立にて當時は出資金三千七百餘圓口數僅に百廿六口に過ぎざりしがその後幾多の變遷ありて大正十四年現組合長松本理事・中島・川口・の諸氏就任せらるるや組合方針の革正を行い専任書記をまねき(ママ)一意組合の発展に意をそそぎ成績の見るべきあり漸次その基礎を強固にし全村組合を標語として組合誠心の普及をはかりしより別表の成績を納め渡島部第二十二位、一躍第十三位にすすみ近々据置貯金の遂行せん計畫にて成案なり實行のはこびに至らんとせり部會において優良候補組合として實査の上表彰せらるゝならん。
なお八月八日昭和五年度の産業低資割が決定され、椴法華村信購組合は七千圓の割當を受ける。
その後、昭和八年六月十九日、有限責任椴法華信用購売組合を保證責任椴法華信用購売利用組合と変更する。
別表