昭和十三年以後の商工業(戦時下の商工業)

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 昭和十二年七月七日、蘆溝橋で日中両軍が衝突し日華事変となる。その後昭和十三年より戦時下の経済統制が強く叫ばれ、各物資は配給制をとりはじめており、同時に一般業者もまた極度の業績不振にあえぎはじめるようになった。こうした情勢の中で統制経済の促進と業界の不振を打開するため、商工業者に同業組合を結成させ、組合の強化と健全な発達を指導するようになり、更に未組織の業種については、極力同業組合の設立を求めてくるようになった。
 この時、渡島地方では各種の同業組合が結成されたが、二、三の例を上げると次のようなものがあった。渡島鉄製品工業組合・渡島綿製品洋太物小売商業組合・南渡島ゴム履物小売商業組合
 昭和十四年頃より日華事変の長期化により統制経済は益々強化されつつあったが、従来自由経済下で長く商工業を営んで来た商工業者はもちろんのこと、椴法華村民もまた頗る苦痛を感じていた。しかしこのことは大きな声で話すことさえはばかられ、官民は一致協力して統制経済の維持に当たらなければならなかった。
・昭和十四年五月十二日、ノモンハン事件発生
・昭和十四年九月三日、第二次世界大戦はじまる。(イギリス・フランス対ドイツ)
・昭和十五年七月一日、米穀の配給通帳及び砂糖・マッチ等が切符制となる。
 昭和十五年統制経済の強化により商品や資材の不足が深刻化し、このため商工業の中には経営不振となり、村内の一部には他業種に転業せざるをえない者もあらわれた。
 このことは独り椴法華村にだけ起った事ではなく、日本のどこにでも見られるような有様であった。なお商工業者が統制経済のあおりで悲鳴を上げたのは、昭和十三年頃からである。
 
   昭和十三年七月二十八日 函館日日新聞
   けふから大つぴらで
     綿布再び街頭へ
     經濟警察の出店宛(サナガ)ら呉服屋
        檢閲濟、巾を利かす
   消費節約と資源擁護の両國策が我らの生活に欠くべからざる綿製品の統制となり、續いて販賣罷りならぬと賣止めを喰った、全國民は非常時局に際し、廢品利用で我慢出来るとしても、それを販賣して生活する業者や商人は上ったり、悲鳴をあげて、販賣許可の申請に狂奔してゐたが、その効あって愈々けふから小賣販賣が一齊に許されることゝなった尤も道廳長官令で四十五センチ以下(一尺五寸)のものは販賣をゆるされてゐたが今度のは綿製品と名のつくもの全部が許可になったので呉服小賣商人は萬歳を絶叫したのも當然のことである。この販賣許可は申請したものだけ。
   函館署・經濟係の檢閲濟みという印を受けたものに限るといふ(以下略)
 
・昭和十六年六月九日、麥類配給規則公布
・昭和十六年八月一日、アメリカ対日航空機用ガソリン輸出禁止
・昭和十六年八月二十日、菓子類配給統制令規則公布
・昭和十六年十二月八日、ハワイ真珠湾攻撃太平洋戦争始まる。
・昭和十七年二月一日、衣料切符制実施
 椴法華村では一人一年間に八十点が与えられた。(都市では百点)この時男子の背広が欲しいと思えば、五十点を手ぬぐいでは三点を必要とした。
・昭和十七年三月、鮮魚介類統制品となる。
・昭和十七年五月二十日、水産物統制令が公布される。
 椴法華村の大部分は漁民であるが、この漁民の糧である水産物にも遂に統制令が出され、漁民の生活を益々困難なものにしていった。すなわち漁民の漁獲した魚は勝手に販売することは許されず、公定価格により国に依って買上げられたが、販売価格は安く定められているにもかかわらず、網・綱・油等の漁業用資材は高く而も手に入りにくい状況のため、漁民の生活は大へん苦しいものであった。なお水産物関係の統制令により打撃を受けたのは漁民ばかりでなく、水産物を取扱う仲買業者は仕事を失い、更に漁民が購買力を失ったため統制品以外のものも売れなくなり、年末の売掛金の徴集さえもあやしくなり、商業者達を大へん困らせることもあった。
 その他前にも記したが、昭和十七年頃になると零細な商工業者の中には、統制経済のため生活困難になり救済が必要な者さえ出て来ていた。村民の語るところによれば椴法華村でも生活困窮者があったと云われている。
 
   昭和十七年三月四日  新函館新聞
    轉業失業者救濟
       生活困難の者へ經費支給
   〔札幌發〕決戰體制の確立途上急轉回する國内經濟事情の影響を受けて父祖数代に亘る家業或は永年努力の結晶である職業を余儀なく轉換して新たな生活戰線に踏出さねばならない中小商工業者は累時多數を加へつつあるがこれ等要轉業者の中には年齢體等の特殊事情から差當つて失業者としての苦惱をなめているものも亦少なくないので道廳ではこのうち經濟力の薄弱から生活困難を來す惧れのあるものと認められるものに對して就職決定の日までの期間に限り生活援助を目的とする經費支給を行ふ事となり三日附發表した。(以下略)