明治四十三年から乗合馬車、大正十年から乗合自動車が運行されていた湯の川・戸井間の道路は、土・砂・石を突き固めただけであったため、大雨や春の雪どけの後は穴だらけでぬかるみ状態となり、しばしば車馬は運休しなければならないような有様であった。
このため地域の住民は、産業開発を理由に道路の改善を望み、官側においても函館から恵山に至る海峡沿岸地域は、国防止の重要地点であるという視点から、道路建設の促進が強く望まれていた。このような条件であったため、道庁もこれを認めるところとなり、遂に大正十二年六月から待望の下海岸道路改良工事が着工されることになったのである。当時の新聞は工事の状況について次のように報じている。
大正十二年十月十二日 函館毎日新聞
湯の川から戸井に至る新道路工事竣工
下海岸の産業に一曙光が点ぜられた。
下海岸湯の川・戸井間の交通には、馬車があるが、道路が険悪なのでこの道路の修理開鑿は多年同海岸住民に希望されていたが道廳も此を認むる事となり本年度豫算に算入され本年春六月より最も難関とされた本村黒石及び石崎村のコトリ間の二ヵ所の岬角(かふかく)を切崩し海岸に沿ふて幅四間の道路の開鑿工事に着手せるが同工事は支障なく進捗(しんちょく)し本月二十日完了の見込である。
同道路の完成の暁は湯の川より戸井までは平坦なる道路と変るべく下海岸の産業上大いに成績挙るべしと期待される。