戦時下バス会社の統合

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 昭和十八年秋、戦時体制下企業合同が命ぜられ、こうして昭和十九年六月一日、道庁の指導に基き、道南自動車、下海岸自動車・渡島交運・大檜乗合、マツマヘ自動車等十四社の自動車会社が統合され、函館乗合自動車株式会社が設立されることになった。
 このようにしてバス会社の統合が行われ、バスの運行が充実するかにみえたが、実際には戦争の激化と長期化により、ガソリンは欠乏しバス・トラックに木炭自動車(代燃車)が登場し、更に部品タイヤー等の欠乏により次第に運行回数は減少しその輸送力はおちていった。戦争末期には函館・椴法華間五十三キロを徒歩で通行することも珍しくない状態となったのである。
    函館乗合自動車創立時の実態
  発足創立総会 昭和十九年四月二十七日
  資本金 六十五万円
  所有車両 五十四両
       (昭和二十一年四十二両)
  従業者 百十四名
  免許粁数 五百二十三粁
  (なお所有車両五十四両中ガソリンの配給を得る為に登録しているが、稼働できない車も多数存在していたと云われている。)