銚子トンネルの建設

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 一般国道二七八号線中亀田郡椴法華村と茅部郡南茅部町字古部の境界には旧銚子トンネルとその取付道路があるが、この区間は険しい崖が道路端まで押し迫っており、長雨や融雪期には必ずといってよいほど落石が発生する危険地帯であり、また海が荒れるや太平洋の高波が押し寄せる地帯でもある。このため昭和四十五年一月から同四十六年三月までに延べ五百一時間も落石や崩土のため交通止めになり、最高は十日間も全面ストップとなったことさえもあった。古部・椴法華間の道路は地域の住民生活に大きな影響を与えるばかりでなく、観光客や水産業などにも大きな影響を与えるため、これらの問題点を一挙解決すべく昭和四十七年八月二十五日、銚子トンネルが着工されることになり、同時に椴法華側坑口において関係者が集まり、起工式が挙行された。
 起工式には関係者約六十人が出席し、神官の祝詞の後、村田開発建設部長・長政椴法華村長らのクワ入れが行われ、工事の安全が祈られた。
 このトンネルは、銚子岬を横断して南茅部町側滝の沢トンネルから二百メートル手前に出るもので、全長千四百六十メートル・幅、車道六・五メートル、両側〇・七メートルの歩道がつけられる計画であった。
 その後工事は順調に進められ、昭和四十九年十二月十一日銚子トンネルの開通式が挙行された。昭和四十七年八月着工以来、総工費十三億円を投入し、角礫凝灰岩(かくれきぎょうかいがん)の地質をくりぬき、昭和五十年三月の完成予定を待たずこの日開通式が行われたもので、開発建設部及び南茅部町・椴法華村等の関係者約五十人が集まり開通式が実施された。
 なおこのトンネルは、桧山と後志を結ぶ茂津多トンネル(全長千九百二十メートル)が完成するまでは道南最長のトンネルであった。