明治二十年ごろは以上のような状況であったが、その後北海道の開拓・防衛上の見地から海運の確保は絶対必要条件であると認識されるようになり、多額の補助金が交付され航路の確保がはかられるようになっていた。このような国・道そして民間の努力により、北海道の沿岸航路は次第に整備拡充されていき、明治四十年ごろには次のような状況となっている。
〔明治四十年ごろの本州・北海道航路〕
○東廻り 主として農産物輸送
北海道~横浜~四日市(その他太平洋側諸港)~神戸(終点)
○西廻り 北海道・本州間の主要航路
函館~日本海諸港を経て兵庫又は神戸を終点
○本州連絡船
函館~青森、青森~室蘭
○樺太線
東廻り、西廻り、いずれも夏季の漁期に航路が開設されていた。
(その他、函館・小樽を中心とする種々の補助航路が開設されていた。)