恵山の噴火

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 地質学的には有史以前より何度も噴火していることが確認されており、歴史時代に入ってからも、次のような例が知られている。
○明和元年(一七六四)「七月(恵山)硫黄の気発動して工夷多く死亡せり」と「蝦夷旧聞」に記されている。恵山の噴火あるいは硫黄の自然発火であろうか。
○言い伝えによれば天保年間(一八三〇-一八四四)爆発(確証なし)と言われている。
○弘化二年六月十一日、恵山西手、硫黄自然発火し、十三日、人足二百人消火に努めるが消えず、十五日からの大雨で鎮火。
○明治七年六月八日、午後六時、恵山旧噴火口、大音響とともに、はげしく煙を発す。その後、六月九日午前二時頃より静まる。椴法華の古老はこの時、前山の釜が壊われたと言い伝える。

昭和8年頃の恵山