恵山温泉は、二百年も前よりその存在を知られており、百三十年ぐらい前には、既でに湯治場の小屋が造られていたことは、前にも記したが、明治時代に入り、明治七年南部出身の及川某によって温泉として経営がなされるようになった。(『尻岸内町史』では、中川某という医師が恵山山頂に温泉を営むと記される。)この時の温泉は、以前より充実されたとは言っても、立派な温泉宿が建てられたわけではなく、簡単な小屋掛程度のものであったらしい。明治十九年、青江秀(アオエヒイズ)の「北海道巡回紀行」には、「小苫屋(トヤ)アリ温泉開始者某ノ住居ニシテ屋外に二、三個ノ湯壺ヲ設ケ樋ヲ架シ温泉ヲ通スルノ計画中ナリ」と記されている。
また明治十五年の「函館新聞」は恵山温泉を紹介し次のように記している。
明治十五年七月十三日 函館新聞
恵山温泉場に抵(イタ)る、本泉は亀田郡椴法華村を距る一里半恵山噴口と近接せり。温度百十八度、炭酸互斯多量、硫酸剝篤亞斯(バッタアス)多量、硫酸麻屈涅失亞(マグネシア)少量、鹽化抜留母(エンカバリュム)同上、鹽化曹叟母(エンカソシウム)同上。
便秘、慢性僂麻質斯(マンセイリュマチス)、痛風、神經(シンケイ)痛、子宮官能病等に効あり。
その後、明治二十年より四十二年までは、温泉に関する資料が無くここに記すことはできないが、明治四十三年八月、辻田トメにより経営が始められたと言われている。