明治十九年七月、渡会定孝師が本道布教の際椴法華村に来て、杖を留め地理人情を観察したるところ、峨々なる山々が村の三方を囲み、蒼々たる海洋は里の前面を擁し、冬気風雪厳寒のときは隣家へ行くのも容易でなかった。他村に出るとも寺院もなく村民は孝子慈孫といえども人生臨終の哀情をつくせなかった。そこでまず、明治二十一年十月九日、説教所妙法寺として出願し、明治二十二年七月五日許可せられ、仏事を営み、数年を経て函館高龍寺上田大法師を開山とし、同寺の末寺となし、その筋に明治二十五年十二月出願し、明治二十六年九月一日大龍寺として寺号公称を許可される。(大龍寺沿革史要約)
本尊 釋迦牟尼仏
祭典行事
一 御施餓鬼 一月十六日
二 春の御参 五月二十一日
三 御盆 八月十六日
四 秋の御参 十月二十三日