昭和初期の医療

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 昭和初期の椴法華村における医療機関は、昭和三年二月現在、中村医院・医師大淵宗壽と大正十三年に新築された仮隔離病舎の建物、そして産婆(助産婦)二名が存在していた。
 この他村内には、衛生組合が組織されており、春・秋二度の村内家屋の清掃の指示、点検及び伝染病予防のための啓蒙宣伝等がなされていた。また小学校では、手洗い・歯みがきその他保健衛生知識の普及に努力されており、村民の保健衛生知識も向上しつつあった。
 その後、昭和七年ごろから、中村医院と葛西医院との二医院が診療を行うようになり、中村医院では何年か契約で本州方面から医師を雇い入れて開院されていた。
 この当時尾札部村字古部は医師がいないため、病人はわざわざ山越や船で来村し、医師の診断・治療を受けたり、重病人の場合は椴法華村から古部へ医師が応診に出かけたり、あるいは戸板や担架で山越えをして来ることもあったといわれている。
 なお残念なことに昭和初期の医療関係の資料がほとんど残されていないので、次に現在までに判明している伝染病の発生状況と医院・医師その他について記すことにする。
 
    伝染病
昭和四年 ジフテリヤ四名発生
昭和七年 ジフテリヤ十一名発生、内九名全治、死亡二名
昭和八年 ジフテリヤ八名発生、全治七名、一名死亡
 
椴法華村の医院と医師(現在判明部分のみ)
 年  号病 院 名医   師病 院 名医   師産婆人数
昭和 元年
   二年
   三年中 村 医 院大 淵 宗 壽
   四年中 村 医 院
   五年
   六年(これ以前不詳)
   七年中 村 医 院葛 西 医 院葛 西 教之助  二
   八年中 村 医 院葛 西 医 院葛 西 教之助  二
   九年中 村 医 院葛 西 医 院葛 西 教之助  二
  十 年中 村 医 院葛 西 医 院葛 西 教之助
  十一年中村医院(村医)柴 田 菊四郎葛 西 医 院葛 西 教之助
松田医院(八幡)村医
  十二年中 村 医 院会 田 源 吾葛 西 医 院葛 西 教之助  二
  十三年中 村 医 院会 田 源 吾葛 西 医 院葛 西 教之助
  十四年中 村 医 院板 橋 辰之助
  十五年 (このあと不詳)葛 西 医 院葛 西 教之助
  十六年葛 西 医 院葛 西 教之助
  十七年葛 西 医 院葛 西 教之助
  十八年 (伊 田 医 院)葛 西 医 院葛 西 教之助
  十九年伊 田 医 院葛 西 医 院葛 西 教之助
 (十九年二月退村)十九年焼失葛 西 教之助
  二十年 (諏訪医院八幡町)   二月死亡