保健衛生機構の組織化

1020 ~ 1021 / 1354ページ
 昭和二十年八月戦争は終りを告げ、人々はようやくこれで平和が来るものと期待していた。しかし戦争によって工業を中心とする諸産業が破壊されてしまったため、人々は職を失なったばかりでなく、衣食住の全ての面で耐乏生活を強いられ、その上すさまじいインフレーションの中で生活しなければならなかった。また昭和二十年は大凶作の年であったため、食糧不足はますます深刻な問題となっていた。国内で生活していた人々でさえ、このような有様であるのだから、外地からの引揚者や復員軍人の生活は、現在の私たちの生活からは到底、想像できない状態に置かれていたといわれている
 このような世情の中にあって清潔で栄養豊かな生活などとても出来るものではなく、日本全国にノミ・シラミがものすごい勢いで増え、これを媒介とする発疹チフスをはじめとする伝染病が蔓延し、そのほか外地からの帰還者により、普段、日本国内では発生しないようなコレラ等の伝染病までが流行するきざしを見せはじめていた。
 このような保健衛生状態を知った連合国軍は、道庁に対し保健衛生業務の改革を促し、伝染病に対する防疫体制を早急にとるように命じ、連合国軍自からもDDTその他医薬品等を給付するなど、積極的に伝染病の予防に手をさしのべてきた。
 このような経過の中で、昭和二十一年六月より北海道の保健衛生は、北海道教育民生部が担当し、翌二十二年には自治法の施行により北海道衛生部に移管されることになった。また昭和二十二年九月には保健所法が制定され、その後椴法華村は渡島保健所の管轄下に置かれることになった。
 このようにして保健衛生機構の組織化が実施されたが、これらの諸機関は早速、昭和二十三年度より伝染病の媒介となる、ノミ・シラミ・ハエ・カ・ネズミ等の駆除活動を開始し、赤痢等の防疫体制に備えるようになっていった。更に昭和二十四・五年ごろからは、上水道の設置や公衆衛生思想の普及活動に力を入れはじめるようになった。