消防組のはじめ

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 明治二十七年二月、消防組規則が公布され、これに其づき全国の町村に消防組が任意に組織されることになったのであるが、本村の当時の状況は残念ながら明らかではない。言い伝えによれば、有事の際は各自駈付け、消火、海難救助等に当たっていたといわれている。
 その後明治三十三年六月十一日北海道庁令第七十七号消防設置令の公布により、それまでの任意消防組から公設必置の消防組に改織され、組織的には警察署長の指揮下に属することになり、年に二回の消防演習を義務づけられることになった。この法令により椴法華村にも消防組が設置された。
 明治三十三年七月一日から〓小寺富太郎が消防組の頭取となったが、消防手のなり手がなく誰に当たっても異議が無いように村中の青年に知らせ、くじ引きで消防手を決定したと言い伝えられている。
 次に消防組が結成されたころの資料が残されていないので、当時を知る手がかりとして、当時の記録より二、三関係部分を記すことにする。
 
  ・明治三十五年八月十九日、椴法華消防組、盆の出揃といって、家々門前で梯子(はしご)乗の曲芸を披露、「北海タイムス」
  ・明治四十一年三月二十三日、椴法華沖で、青森・室蘭間定期船陸奥丸と室蘭出航の秀吉丸が衝突し陸奥丸が沈没する。この時椴法華消防団、漁船三艘で救助に出動する。
  ・明治四十二年十月五日、元村で山崩発生、全潰家屋六棟、半潰三棟、土砂侵入家屋七棟、浸水家屋三棟、落橋三ヵ所、女児圧死一名、婦人水死一名、道路石垣崩壊、この時椴法華消防団、救助、復旧活動に大奮闘する。