昭和三十年代に入っても財政力の弱体化している町村では、消防力を充実させることは予算的に非常に困難であり、また団員も出稼に行ったり出漁していたりしているため、常に実動出来る数は限られたものであった。しかし消防団の仕事は単に消火活動をするだけではなく、風水害による土砂くずれや道路の欠壊・河川の氾濫に対する応急対策、あるいは林野火災・遭難船の救助活動の援助等、様々な仕事があり、火災や風水害などの時には一度に多数の人員が必要であった。このため明治時代より近隣の村々は互いに応援体制をとる慣わしであったが、昭和四十一年にはこれらの協力関係を一層明確にし、かつ充実させるために、次のような相互応援体制についての協定が定められていた。
下海岸四ケ町村消防相互応援協定書
(要約)
銭亀沢村 戸井村
尻岸内村 椴法華村
下海岸四ケ町村消防相互応援協定
第一条 この協定は下海岸四ケ町村(銭亀沢村・戸井村・尻岸内村・椴法華村)消防相互応援に関して定めるものとする。
第二条 下海岸四ケ町村の区域内の火災防禦のため、つぎの方法により応援隊を派遣するものとする。
・消防機関が何等かの情報により火災の発生を認知した場合一隊を派遣すること。
・消防機関が火焰を認めた場合は一隊を派遣すること、要請があったときはその要請隊数。
・応援側の消防長が必要と認める場合にはその全隊数を派遣すること。
第三条 水災その他の災害に際しては要請のあった場合又は応援側の認知により相互に応援するものとする。
第四条 応援隊の指揮はつぎの方法によるものとする。
(一)受援地の消防団長が指揮すること。
(二)指揮は応援隊の長に対して行うこと。
(中略)
昭和四十一年八月十九日
銭亀沢村長 蛯子 兵弥
戸井村長 中釜 実
尻岸内町長 前田 時太郎
椴法華村長 松坂 幹太郎