大正七年の山津波

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 大正七年九月五日から六日にかけて集中豪雨が下海岸地方を襲い、このため椴法華村に山崩れが起き、家屋倒壊流出合わせて十三戸、死者四名、負傷者十一名の大災害が発生する。この時の大災害の様子について当時の函館日日新聞は次のように記している。
 
   大正七年九月六日 函館日日新聞
   椴法華に山崩れ
      多数死傷者を出す
     家屋倒潰流出十三戸に及び
          下海岸一帯の惨害
  本日午前九時渡島支廳への電話に依れば、椴法華村は五日午後八時よりの降雨にて山崩れあり壓死男四名負傷十一名家屋倒壊流失十三戸道路護岸欠潰流失二百五十間に及び又橋梁の埋没流失せるもの五箇所、浸水家屋五十戸あり詳細取調中なるも損害見込十五萬圓なり。
 
   大正七年九月七日 函館日日新聞
   下海岸惨害のあと
   椴法華村にありては佐々木勝三郎方に於ては同人孫利吉(七ツ)市馬(一ツ)又同居人磯見方の子供鶴吉、長男磯見照夫(五ツ)幹夫(二ツ)の四人は就寝中の事とて布團をかぶったまま山崩れの土砂のために無惨の死をとげた。