明治五年二月二十九日東京品川を出航した兵部省汽船東京丸船長滝山正門は、海霧激浪のため針路を誤り三月二日午後零時五分尻岸内村女那川海岸に坐礁する。この時乗船中の函館・札幌間道路工事関係者、開拓使雇米人アルフォート・ウスリンなど官吏二十七名、職工・大工・工事人夫等四百七十五名は、尻岸内村民の決死的救助作業により、一人の死者もなく文字どおりの九死に一生の思いで上陸することができた。しかしこの後、三月四日から五日にかけての激しい風浪のために船体は破壊され、道路工事関係の器材その他の積荷の大部分が流失し、その後の工事に大きな影響を与えることになった。